雨のち曇り。朝のうちは地面を叩きつけるような大雨だった。
そんな雨も次第に弱まり今は静かな夕暮れ時である。
不如帰が夜を待ち兼ねるように頻りに鳴くばかり。
予報では明日も雨とのこと。おそらく走り梅雨なのだろう。
枇杷の実が随分と色づきそろそろ食べ頃のようだ。
サニーマートの店頭で売っているのは高級な果実である。
わざわざ買って食べる人がいるのだろうかと思う。
やはり枇杷は木から千切って無造作に食べるのが好ましい。
子供の頃にはそれが当たり前だったが今の子供は見向きもしなくなった。
そもそも庭や畑の隅に枇杷を植えている家が少なくなったのだろう。
枇杷の実は甘くて美味しいが私は種が苦手である。
種の無い枇杷があればと無理なことを願わずにいられない。

仕事は今日も車検が一台のみ。雨のせいか他の来客は無かった。
車検をなるべく早く済ませ例のエンジン交換に取り掛からねばならない。
正規の工賃では9時間の仕事であったが同僚の場合は2日掛かりそうだ。
今週中に終わらせなければまた来週から車検の予約が入っている。
義父は執刀医にも関わらず一切手を貸そうとしないのだった。
もしかしたら同僚の腕を試しているのかもしれない。
実質的には明日が月末となるので資金繰りの段取りがあったが
今月はぎりぎり何とかなりそうである。
最終的にはゼロになってもまた一から始めれば良い。
仕事さえあれば挽回は出来る。それが希望でなくて何だろう。
お金の苦労にもすっかり慣れてしまってもはや貧乏のプロである。
毎週木曜日はリハビリのある日で少し早めに退社した。
雨の日はキャンセルが多いのでもしやと期待していたのだが
結局は予約時間通りとなり30分待たねばならなかった。
待合室でスマホを操作している人の何と多いことだろう。
最近では高齢者のスマホも珍しくはない。
私はガラケーなのでポケットから取り出すことも出来なかった。
私もみっともないが高齢者のスマホもみっともないと思っている。
負け惜しみだろうかとも思うが私はガラケーで十分であった。
4時過ぎに帰宅。「夏井いつきの365日季語手帳」が届いていた。
俳句は若い頃に少し齧ったことがあったが今は初心者である。
70の手習いではないが最近少しずつ詠み始めている。
きっかけはSNSだが季語に興味を持ったのだった。
俳句を発信している人が多くはっと心を動かされることが多い。
特に「お花の父」さんの俳句は誰よりも素晴らしいと思う。
知らなかった季語にどれほど心を惹かれていることだろう。
詩に短歌それに俳句と欲張りな私であり
どれも未熟で他人様の目を汚すばかりであったが
残り少ない人生である。好きなことを貫いてみたいのだった。
種の無い枇杷が無いからこそ私は種を残したいと思う。
※以下今朝の詩
走り梅雨
雨が近づいている 急がずにゆっくりと 忍び足のようである
ざわざわと騒ぐ空 雨雲は躊躇っている 風は踊り子のようだ
皆が一斉に集まれば 仲間外れもあるだろう 独りぼっちはさびしい 真っ先に泣いてしまいそう
涙であってはならない
雨として貫こうとする 落ちるのではない 潤すためであった
もう少しあと少しである
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