ぽつぽつと小雨降る一日。気温は20℃に満たず肌寒さを感じた。
北海道札幌では27℃とすっかりもう初夏である。
高知も明日は良く晴れて初夏らしい気温になりそうだ。
職場の直ぐ前に誰も住んでいない大きな家があるのだが
管理を頼まれている人が居て時々草引き等をしている。
春には桜の木を伐採した家で庭にはもう樹木は一本もない。
今日はっとしたのはその家のブロック塀沿いに沢山のどくだみの花。
辺りの草は綺麗に引かれているのだがどくだみだけ残してあった。
十薬とも呼ばれれっきとした薬草である。
その可憐な純白の花はまるで十字架のようだ。
管理をしている人がそれを承知で残してくれたのだろう。
花を思い遣る優しい心の持ち主に違いない。
主なくとも花は咲く。ほんのりと心温まる風景であった。

今朝は雨にも関わらず義父の姿が見えなかった。
ポストの朝刊もそのままで気にはなっていたのだが
居室の上り口にはいつも履いている作業靴が揃えてあった。
日頃の疲れが出てゆっくりと寝ているのだろうと思う。
しかし午後1時を過ぎても一向に姿を見せないのだった。
もしや倒れているのでは。その上に最悪の事態まで頭を過る。
とにかくと電話をしてみたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。
「これはいけない」と思い居室に向かって大声で義父を呼んだ。
そうしたらか細い声が聴こえ発熱で寝込んでいるらしい。
今思えば様子を見に行くべきだった。もう後の祭りになってしまったが
一瞬コロナかもしれないと思ったのだ。接触してはいけないと。
薄情な娘である。病院へ連れて行ってやれば良かったのにと思う。
後ろ髪を引かれるように帰路に就く。義父が心配でならなかった。
けれどもそこで例の女性の顔が目に浮かんでいた。
きっと駆け付けて来てくれるだろうと思ったのだ。
そう思えばもう私の出る幕は無いに等しい。
複雑な気持であったがここは成り行きに任せるしかない。
強靭な肉体と精神力のある義父であったが歳には勝てないのだと思う。
先日からの疲れも尾を引き免疫力も下がっているのだろう。
一昨年コロナに罹った時も高熱が続いたことを思い出していた。
平穏無事とは行かなかった一日であったが
月末の仕事は何とか乗り越えられた。
来週にはもう6月である。またゼロからの出発が待っている。
それにしてもいったい何に背中を押されているのだろう。
あっという間の一週間。駆け抜けたようなひと月であった。
※以下今朝の詩(マンネリ化しており申し訳ありません)
声
眠らない鳥が頻りに鳴いている 羽根は雨にしっとりと濡れ 暗闇に映す姿も心許ない
空が天である限りつらぬく 生きるための叫びであった
きっと誰かに届くだろう 耳を澄ます誰かのために 歌にはならない声を放つ
貶められてはならない 蔑まれてはならない
生きた証であるならば 声は息にも等しいのだ
薄っすらと夜が明けて来た 濡れた羽根に風が寄り添う
果てしない空である 何処までも飛べるだろう
声は掛け替えのない命である
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