ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月18日(金) ゆらゆらと揺れる

曇り日。時おり陽射しがあったが気温は30℃程に留まる。

既に猛暑を経験している身には過ごし易い一日だった。


昨日の大雨のせいだろう四万十川は泥色に濁り流れも速い。

上流域で降った雨が河口へと流れ太平洋へと注ぐ。

雄大な流れである。まるで川の命そのものであった。


朝の峠道を越え母の友人宅に差し掛かると

先日まで一本だけ残っていた向日葵はもう姿を消し

今度は色とりどりの朝顔が見事に咲いていた。

何と健気で心温まる花であろうか。

また朝の楽しみが出来て嬉しくてならない。




仕事は車検整備が一段落し後はエアコン修理を残すだけだった。

義父にしか出来ない仕事であったが今日は稲の消毒に出掛ける。

やはり「いもち病」が広がっているらしく早目の対処が必要であった。

来月にはもう稲刈りである。収穫量に響くかもしれない。

それにしても農薬の高価なこと。昨年よりも値上がりしているそうだ。

農協の購買は現金支払いしか出来ず義父も頭を悩ましている。

これで今年のお米が安値となれば完全な赤字であった。

お国は消費者ばかりに目を向け生産者はないがしろにしている。

せめて補助制度でも出来ない限り米農家は針の筵になってしまいそうだ。

そうなれば義父も憐れでならず何としても助けてやりたくなる。




整形外科のリハビリと診察があり3時前に退社する。

U君の神の手で今日も随分と痛みが楽になった。

しかしどれ程続けても完治する見込みはないのである。

医師は今日も「手術しかない」と云って私を困らせていた。

あと10年の辛抱だろうか。意地でも耐え続けなければならない。


5時前に帰宅。今日は遅くなるだろうと娘に買物を頼んであった。

今朝も夫と話していて「きっと長芋を買って来るぞ」と

そうしたら思った通りに長芋を買って来ており愉快でならない。

娘がすりおろしてくれて夫の好物の「とろろ汁」となった。

持つべきものは娘なのだろう。何とも微笑ましい夕餉である。


めいちゃんは一学期の修了式だったようだが姿を見せない。

娘婿がまたトレーに夕食を並べ二階へと運んでいた。

最近はずっとそうで家族4人で食卓を囲むことは殆どなかった。

このままで良いのだろうかと老婆心が疼くばかりである。


あやちゃんは夕方寝ていることが多く物音ひとつしない。

夕飯は随分と遅い時間だがちゃんと食べているようだった。

とにかくジジババは一切干渉してはならない。

それが当たり前になってしまえばこんなに寂しいことはなかった。

家族のようで家族ではない暮らしがこの先も続くのだろうか。


決まり切った「カタチ」ではなかった。

歪でゆがんでいるかもしれないが幸せなのだと思いたい。

これ以上の何を望むことがあるだろうか。


※以下今朝の詩

 
    カタチ

 ふつふつと降る
 さらさらと落ちる

 その先にあるものは
 いったいなんだろう

 カタチあるものなら
 触れることも叶うが
 目に見えないものなら
 漂うことしか出来ない

 ゆらゆらと揺れる
 そのこころに宿る
 芯のようなものが
 真っ直ぐになろうと
 もがいているようだ

 雨の日も風の日も
 生き永らえて来たが
 いつかは途絶えて
 いつかは尽きるだろう

 一心に貫くことがあれば
 まっとうできるのだろうか

 歪なカタチならなおさら
 守り抜かなければならない

 生きたことよりも
 生きることではないか


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