ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月24日(木) 苦しゅうはないぞ

曇りのち晴れ。午前中はほんの少しにわか雨が降った。

猛暑は和らいでいたが陽射しはとても強く感じる。

今日も北海道の帯広等では信じられないような猛暑だったようだ。

沖縄は暑いイメージがあるが海風のおかげで過ごし易いらしい。

同じ高知県でも足摺岬や室戸岬の気温が低いのと同じことなのだろう。


あちらこちらで百日紅の花を見かけるようになったが

やはり母の育てていた百日紅は一向に咲く気配がない。

木があった辺りには夏草が生い茂っており木の無事を確かめられないのだ。

枯れたとは考えられずやはり伐採騒動の巻き添えになったのだろう。

毎年咲いていただけに何とも残念でならない。

母の口紅の色だったのだ。母の笑顔のような花であった。



工場の仕事は車検が一段落し後はエアコン修理を残すのみである。

同僚は一息ついていたが義父は厄介な修理に手こずっていた。

午前中のにわか雨で農作業は諦めていたがそれも憐れに思える。

「いもち病」がどんどん広がっており気が気ではないのだろう。

昼食も食べるように促したが「食べとうない」と云い張る。

あれこれと考えていて精神的に参っているように思えた。

いつもパワフルな義父が何だか小さく見えてならない。


私は相変わらず資金繰りに明け暮れていて

今日は思い切って預金の全額を引き出す。

そうして置かないと明日は共済保険等の引き落としがあるので

残高が無くなってしまうのだった。

引き落としが不可能な場合には後日に振込用紙が届くことになっている。

とにかく先延ばしに出来る支払いは手を打っておかなければならない。

これは我ながら良いアイデアだったと思う。

後は引き出した現金を上手に回していけば良いのだった。

「苦しゅうはないぞ」思わず声が出ていた。

いつまでも穴倉にはいられない。今こそ光を求める時である。

何とかするのではなく何事も「何とかなる」のだと信じたい。


会社は難破船には違いないがまだ帆はあり風になびいている。

風さえあればきっと何処かの島に辿り着くだろう。

そこには砂浜が広がっており私は素足になるのだった。

杖を付きながらでもきっと歩くことが出来るのに違いない。


※以下今朝の詩


    泥団子

 泥団子を作った
 最初は柔らかくて
 上手く丸められない

 雪だるまを作るみたいに
 土の上でころころと転がす

 小さな泥団子が少しずつ
 大きくなるのがうれしい

 まやちゃんとまさし君
 誰の泥団子が一番なのか
 競い合っていたのだった

 保育園の床下に隠した
 ねずみにかじられるかも
 まさし君は心配していたが
 毎日無事を確かめるのが楽しい

 泥団子は日に日に固くなり
 唾をつけて擦ると光るのである

 泥だったのにとおもう
 手を汚し服を汚したけれど
 何だか宝物のようであった

 落とせば割れてしまうだろう
 そんな儚さを誰も知らなかった


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