ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月01日(金) ガソ欠

空が燃えているような暑さだった。

猛暑日となり昨日までとは確かに違う陽射しである。

江川崎では37℃を超えていたようだが上には上があり

岡山県や三重県では40℃を超えた地域があったようだ。

関東では台風接近により雨が降っているらしい。

幸い直撃はなさそうだが降り過ぎる雨も心配であった。

かと思えば新潟県では深刻な水不足が続いており

田畑はもちろんのこと生活用水にも影響が出始めているようだ。

「雨乞い」の儀式をする程雨を待ち侘びていて気の毒でならない。

我が町は四万十川のおかげで水不足になることはないが

それがどれ程恵まれているか思い知るべきだろう。




義父は早朝から畔の草刈りに出掛けていたそうで9時過ぎに帰って来る。

遅い朝食の後は少しだけ工場に待機してくれていた。

車検の予約は無かったが一般修理の車が入庫しておりけっこう忙しい。

暇な時もあれば忙しい日もある。どんな日も臨機応変でなければならない。


事務仕事は午前中に一段落し午後には生欠伸が出ていた。

早く家に帰って横になりたくてならない。

そうだ華金にしようと2時にタイムカードを押す。

3時過ぎには帰宅していたが大変なことを忘れていたようだ。

毎週金曜日は同僚にお給料を支払う日であった。

経営難もあり月給制ではなく週給制にしている。

云わばお給料の分割払いであった。

急いで同僚に電話し詫びたのは云うまでもない。

自分が早く帰りたいばかりに何と迂闊だったことだろう。

同僚は月曜日まで待ってくれるそうでとてもほっとした。


出来る事を精一杯にと日々心掛けているが

金曜日になるとガソ欠状態となってしまう。

歳を重ねるごとにエネルギーが不足しているようだった。

あと10年とゴールは見えているが走り続けられるだろうか。

78歳になった自分の姿が想像つかない。


仕事の事ばかりではなかった。日常生活はどうなるのだろう。

完治の見込みのない足はどうなっているのだろう。

車の運転は出来るだろうか。杖を付いても歩くことが出来るだろうか。

不安を数えていたら切りがない。最後には死に行き着いてしまう。

そうなると死んだらどうなるのだろうと考えずにはいられなくなる。


夫は後5年でもう良いのだそうだ。

弱気になっているのでなく十分に生きたつもりなのだろう。

そんな夫の言葉には戸惑うばかりである。

夫の死を考えただけで私は目の前が真っ暗になるのだった。


真っ直ぐに前を向き颯爽と歩く。残り少ないのなら尚更の事である。

そうして人生を全うするのが私の夢である。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


   コウノトリ

 母が手術をした
 何の病気だろう
 難しくてよく分からない

 「もう赤ちゃんは要らないな」
 父は私に真剣な顔をして告げた

 弟がいるからもう妹は要らない
 でも赤ちゃんは可愛いだろうな

 とても重大なことらしく
 病室で母が泣いているのを見た

 母はもう赤ちゃんを産めない
 でも赤ちゃんは何処から来るのだろう
 コウノトリさんが空から運んで来る
 そう信じていたから意味が分からない

 手術をしたらコウノトリさんが来なくなる
 母の病室に西陽が射し始めていた
 夕焼け空の向こう側には
 コウノトリさんが居るような気がした


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