連日の晴天。かなり暑く感じたが猛暑日ではなかったらしい。
徳島県の穴吹では39℃を超え江川崎も38℃を超えていたようだ。
暑さには慣れるものだが身には堪える。
特に屋外に出ると目が眩むような暑さであった。
汗は留まることを知らずぽたぽたと滴り落ちる。
私の場合はそれが異常な程で朝から汗びっしょりになっていた。
まったく汗の出ない体質の人も居るのだそうで
熱が体内に溜まりそれも危険なことらしい。
猛暑であればある程辛いことだろうと察する。
「立秋」「処暑」と続くが何としてもこの夏を乗り越えねばならない。

朝のうちに一時間程うたた寝をしてからサニーマートへ行く。
駐車場が満車状態で今日も困り果てた。
身障者用の駐車スペースには許可証を提示していない車ばかり。
颯爽と乗り降りしている人も居て何とも複雑な気分である。
私はまだ杖さえあれば歩けるが車椅子の人はどんなにか困ることだろう。
店側も取り締まることは出来ず「良心の問題」だと諦めているようだ。
なんとか一般スペースに停めることが出来て必死の思いで歩く。
店内は思った通り混雑しておりカートがぶつかる程だった。
鮮魚コーナーでお刺身用の「いせぎ」を買い求める。
タタキ用の藁焼き鰹の何と高価なことだろう。
あれこれと買い求めセルフレジで精算を済ませるなり
顔なじみの店員さんが駆け寄って来てくれる。
いつもとても親切な店員さんで荷物をカートに載せてくれるのだった。
私はすっかりその店員さんのファンになっている。
昼食を終えるとまたお昼寝で2時間程寝ただろうか。
自室で過ごすにも室温が38℃もありエアコン無しでは無理である。
夫に話せば「我慢せんとエアコン点けたらえいやいか」と云ってくれた。
光熱費を考えていたら身が持たないが先月は3万円を超えていた。
読書からはすっかり遠ざかってしまってSNSを見るばかり。
今朝の詩もやはり反応が少なく不評だったようだ。
もちろん誰からも感想はない。もうそれが当たり前になっている。
母の詩を書くつもりだったのが弟のことを書いたのだった。
それも自己満足に過ぎず懐かしいと思うのは私だけなのである。
「記憶」とはそれ程までに独りよがりなものだろうか。
同じ記憶を持つ人は皆無であると云っても良いだろう。
それでも明日も書くつもりである。
私は私の「昭和」に心を委ね続けたくてならない。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
おもちゃの缶詰
弟はチョコボールを食べ続けている 金色のくちばしが出ると当選で おもちゃの缶詰がもらえるのだ
びんぼうなのになと思った 毎日チョコボールを買うお金が どこにあったのだろう
母は弟に甘かったから 買ってやっていたのかもしれない それにしても贅沢だなと思った
ある日のことついに金のくちばしが出た 弟は大喜びし家の中を走り回っている 母が封筒に入れて郵便局へ行ったのだ
早く届かないかな弟はそわそわと落ち着かない 郵便配達の人が来ると玄関に走り出ていた
「おもちゃの缶詰」が届いた日 弟の何と誇らしい笑顔だったことか 缶詰の蓋を開けると色んなおもちゃが ざっくざっくと音を立てるように出て来た
私はもうこどもではないので要らないと思う それなのに弟は触らしてもくれなかった
寝る前には缶詰の蓋をしっかりと閉めて 押し入れの奥に隠すのである
弟の大切な宝物だった 私はそんなもの一生要らないと思った
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