晴れてはいたが大気が不安定だったのだろう突然のにわか雨が降る。
つかの間も事であったが土砂降りとなりおどろく。
山里では雨上がりに蜩の声が聴こえ始めしんみりと切ない午後であった。
立秋も近くなりもう晩夏なのかと思う程だった。
朝の道では山里の県道脇に「夏水仙」の花が咲いており心が和む。
鮮やかなピンク色をしておりまるで絵に描いたように可憐である。
夏水仙の花が咲き始めると秋が近いのだそうだ。
「立秋」を知ってのことだろう。何とも律儀な花であった。

月曜日の仕事は今週も車検の予約が入っておらず
一般修理の車が2台入庫しているだけであった。
車検のような気忙しさはなく同僚ものんびりモードである。
義父は稲刈りの準備を始めており育苗機を片付けていた。
田植えの準備をしていたのがついこの前のように思う。
稲は日に日に黄金色になっており生育の早さにおどろく。
それにしても大きな苦労であった。
報われなくてはとても米農家など出来ないと思う。
幸い今年の米価が決まり昨年よりも大幅に高いようだ。
消費者には気の毒だが米農家にとっては嬉しい悲鳴である。
義父は早速ソロバンならず電卓を弾き皮算用に余念がない。
多額の経費を支払っても十分に残るのだそうだ。
毎年赤字なので今年こそは苦労が報われることだろう。
事務仕事は建設業の変更届を県に提出しなければならない。
自動車整備業だが会社は建設業の許可も取得していた。
全く仕事をしていなくても毎年必ず提出しなければならず
私が最も苦手な事務仕事である。
今月中のことでまだ余裕があるが少しずつ準備を始めた。
昔は従業員が6人も居て建設の仕事もしていたのが懐かしい。
好景気だったのだろう。仕事はいくらでもあった時代である。
月曜日から一生懸命とは行かず2時半に退社した。
ゆっくりと買い物をし帰宅後は30分程うたた寝をする。
今日も自室の温度は36℃もありエアコンのお世話にならざるを得ない。
SNSを見ていたら最近ご縁があったばかりの方から
今朝の私の詩に共感を覚えたとコメントが在りとても嬉しかった。
「独りよがり」かもしれないと悩み始めていた矢先である。
ただ一人の人で良かったのだ。何と救われたことだろうか。
反応が少なくても決して嘆いてはならない。
伝わる人にはちゃんと伝わっているのだと思った。
母を偲び父を偲ぶ弟を想い今朝は祖父を偲んだ。
「昭和」は私にとってかけがえのない時代だったのだろう。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
みかんの部屋
母の生まれ故郷は香北町 祖父はみかん農家をしていた
みかんの部屋があり 収穫した沢山のみかんが まるで寝ているようだった
鼻をくすぐるような匂い ほわんと甘い匂いであった
部屋にあるみかんは食べてはならず 祖父が籠に入れてくれたみかんを食べる
柔らかい皮を剥くとふっくらとした実 5個も食べるとおなかがいっぱいになる
無口な祖父であったがいつも笑顔を絶やさず 自慢のみかんを頬ばる私達が嬉しくてならない
両手がみかん色になった 顔もみかん色になった気がする
子供心におじいちゃんはみかんの天才だと思った
廃屋となった祖父の家は今もあり 夏草に覆われたみかんの部屋もある
けれども扉を開くことは出来ない
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