ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月05日(火) 心意気

曇りのち晴れ。朝のうちはにわか雨が降りそうだったが

午後には安定し真夏の青空が広がっていた。

気温は35℃の猛暑日となったがそれも序の口の暑さで

全国の14地点で40℃を超す危険な暑さだったようだ。

群馬の伊勢崎市では41.8℃と日本の最高気温を更新する。

耳を疑うような気温はもはや異常としか思えない。

このままでは年々酷暑の夏となることだろう。


今朝は山道に入った途端にイタチのような小動物が跳び出して来て

急ブレーキも間に合わず跳ね飛ばしてしまった。

何と可哀想なことをしてしまったのだろう。

悔やんでもどうしようもなくアクシデントとしか云いようがない。

この夏は二度目のことで小さな命を殺めてしまった。

そのうち天罰が落ちるのではないかと不安でならない。

二度あることは三度あるとも云うではないか。



気を取り直して目の前の仕事をこつこつとこなす。

同僚も原因不明の故障車に手こずっているようだった。

義父は午後から米農家仲間の稲刈りを手伝いに行く。

以前の入院中にハウスの苗の管理を引き受けてくれた人なので

恩返しをしたかったのだろう。義父らしいなと思った。

けれども義父も稲刈りの準備をしなければならず

日に日に焦りが出始めているようにも見えた。

お盆休みの間に稲刈りを予定しているようだが

コンバインの修理もあるようで思うように進まない。



郵便物が届けば請求書ばかりで先日の新車代の請求書も届く。

月末までに何としても埋め合わせをしなければならない。

義父も心配してくれていたが「私が何とかする」と宣言してしまった。

当てはないが心意気はある。追い詰められてこそ私は強くなるのである。


午後、保険会社のO君が久しぶりに訪ねて来てくれた。

顔色が優れずまた鬱気味ではないかと気になったが

あれこれと談笑しているうちに少し元気になったようだった。

いつもは煙草を吸って一服するのだが今日は飴玉をしゃぶっていた。

もしかしたら煙草を止めたのかもしれなかったが詮索はしない。

お盆明けにまた来てくれるとのこと。ゆっくりと話したいと思う。



今朝は大好きだった祖母の詩を書いた。

例の唯一感想を伝えてくれる人が「幸せな環境で育ったのですね」と

確かに幸せだったことが痛くてならない。

子供の頃の記憶に縋り付こうとしている自分が愚かにも思えた。

少女時代の記憶は「傷」としか云いようがなく

その傷口が今でも残っているような気がしてならない。

心の底から母を赦したい。その手段として詩を選んだのかもしれない。

書けないことがいっぱいある。それは書いてはならないことに等しい。


私はいったい何処に向かおうとしているのだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      愛ちゃん


 母方の祖母は
 「愛子」と云う名だった
 とてもお茶目な祖母で
 私は「愛ちゃん」と呼んでいた

 とうもろこしの皮で
 お人形を作ってくれた
 目も口もない人形だったが
 お辞儀をするのが可愛い

 愛ちゃんは料理が得意で
 じゃが芋を蒸して擂鉢で
 ごりごりしながら
 卵とお砂糖を入れて
 またごりごりとした

 お椀に入れてスプーンで食べる
 とろけるような甘さで
 なんと美味しかったことだろう

 60歳の時愛ちゃんは倒れて
 半身不随になってしまった
 右手が動かなくなって
 もう料理も出来なくなった
 いくら嘆いても元には戻れない

 けれども愛ちゃんはお茶目なままで
 面白い話を聞かせてくれたのだった

 真っ赤な彼岸花が咲く頃
 愛ちゃんはお空へ旅立った
 空はどこまでも果てしなく
 愛ちゃんの声がこだましていた


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