鮎見時子の日記
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セクシュアリティの説明が現在のでは目茶不十分だと思うと 高機能自閉症の成人の一部が障碍といわれたくないということ (これに繋がって言葉の遅れを心配したら拒否の雰囲気が・・)
どっちも私にとって其れ言われたくない。。に繋がっていて なんか違うだろう〜ってごねまくり・・
セクシュアルフリーなんでもありのセクシュアルマイノリティの説明 これでも男と女以外ないし、同性愛も絶対ないってことを 壊し自分の尊厳や擁護のための闘争用の概念しか持ってない
なんて断定すると大顰蹙だけど実際そんな気が・・ マイノリティの説明上マジョリティ、テヘロ・・
それが私の属性なのはとりあえず確かみたいだけど でも実際には其の説明ってマイノリティの反対ってことでの説明のみ それでこまらないでなんとなくのうちに何年もかけて ジェンダー規定が解体していくことで多くの人は困らない
でも、ジェンダーフリーの最終の向う側だと マジョリティ、マイノリティは存在しない所属カテゴリイーに意味はないというか 個人の内包尊厳の尊重はあってテヘロもマジョリティも個人の上では同格というか・・ 生理的に何がすきどうしても好きになれない・・ただそれだけ。 いいとかわるいとかましてや気持悪いはおかしい。
でも、ところが、 性暴力被害者の加害者投影はその枠を超えてしまう。
女性が怖いはよくてマイノリティが怖いはだめ (でもテヘロが怖いはいいらしい) みたいな、 いいとかわるいとか理屈じゃないしかも、加害者が実際にテヘロだったのか マイノリティだったのかもほとんど関係ない。
女性からの同性加害被害者はレズビアンにも加害者投影が起きる でも被害者がレズビアンかテヘロかで当然問題解決回復のシェアが違う。
こんな感じかなと・・ レズビアンへの加害者投影が差別だ偏見だってことが前面では 当然テヘロ被害者も困っちゃうけどレズビアンだってやっぱり困るかと
そして ADHDが障碍かの話は長いから又別に・・
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