鮎見時子の日記
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2005年05月13日(金) |
軽発達障碍というあたらしい考え方 |
AD/ADなども含めて、社会適応に必要な脳の情報伝達機能が 適切範囲にない子どもたちの存在 やっと認められるようになってきました。 これと同時に器用不器用なんでできないんだ〜って 責められながら 出来ないことはもう、人によってみんな違うけど とにかく困ったまんま大人になった私みたいひともまた 脳の問題で理由があって出来ないって 開き直って自分なりでいきてけばいいんだ〜って 救世主的概念でもあり・・・
そっか脳が正しく動けばできるのね〜って思ったこと、 今回衝動でぱ〜っともうどうせ破産みえてるし いいか〜みたいにぽんとお金使ってしまう衝動 こわく、しかもあきらかに月経前症候群、生理のりずむと その切れたハイは連動してるし。。で 心療内科で薬もらったんだけど これが今まで全然どうしてもだめだったこと 音読眼で字を追って声にしても喋ってる音は全然音でしかわからない 中身聞こえない理解できない、これが まあばっちりでないにしても、自分の声の音ではなしがちょっとわかるような。。
視覚と行動の連動上手く出来ない まあ不器用ってことだけど たとえばお茶を注ぐ、これがこぼさず出来ない。 食器をがちゃがちゃさせず人の前に出せない。
理由があってどうしても出来ないけど 雑な人って人格否定含んだイメージを人にもたれる。 心こめてない集中力がないみんなそう。
些細なことのようだけど全然些細ではないんだよね 人格問題みたいに思われるから・・・
ちなみに、 娘、936グラムで生まれて 出産前、一応障碍のリスクの説明もきいたけど もしも。。とか全然考えたことなく 1歳半検診で言葉遅れてますね・・といわれ (でもこの保健婦ちょっと極端1歳半だと単語5こくらいいえるの 一般的といった。。 この保健婦じゃない保健婦だったらこのあとの発達相談とか 繋がらなかったとおもう)
で、それでああ娘障碍持ってる可能性あるかもって じぶんのこととして初めて人の聞こえてみて 「まず大丈夫よ、言葉のおそい子(うちの子もおそかったけど)2,3歳にはうるさいくらい喋ってる心配しないで。」 これ散々効かされたけど
言葉ですぐひっかかる自閉症気質のわたしとしては
大丈夫ってなに? そりゃ親だもん自分の子障碍もってたらいやって思う。 でも実際じゃあ障碍もって発達遅れてたら 大丈夫じゃないの?
特殊学級行くのが娘の将来だったらそれは確かに 複雑な気持ちで嫌だけど そうなったらそうなったで人生またいいこと悪いこと・・ 思い描いていたことと違ったって 子どもの親としての楽しい苦しいは同心円というか
3歳で喋ってそうならなかったら その子たち大丈夫じゃなかった子?とか ああうちのこああでまくてよかったでも そういうのは勘弁って思った。
どうもおかしな障碍差別を無意識に 含んでるって思ってしまった。
で、 世間的大うけの漫画、 「ブラックジャックによろしく」の NICU編も 非常に私は納得いかない。 ああいう親の気持ちだけで感動物語にしてしまうこと。
まず未熟児で生まれること障碍や病気は別ものだし それを複数かかええて不妊治療の末待望しての赤ちゃんで 親が抱く複雑な気持ち、 生きていて幸せなのかから育てられるのかから 思ったことと違うとか予期しない早産から・・・ みんな当たり前でそこをいいとかわるいとか 親になったのに情がないとか・・ そうじゃないなんて そんなの人事だから思うんだとか思う。
でもあの設定はダウン症で心臓病今手術すれば生きられる子どもの はなしでそれだけというか・・
正直、私が障碍児の親難病の子どもも親になって 出来るか。。これは未知できるかもしれないし できないかもしれない できないなら誰かが子どもの幸せを私の代わりにやってくれる 誰かにサポートされながらできる範囲で親をやる。 世の中がいいと思うんで
障碍を親の気持ちだけでああ良かったとかって感動しても だからなに?って思う・。。。
この感想も グリーンマイルみて製作者役者皆見ただけで むかつくようになった気持ちの悪いナルスト映画〜って 怒ったくらい 世間の評価と私の感想あいませんが・・・。
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