2012年09月02日(日)
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ざっくりとした薄桜記8話感想
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夏バテとフォトブック作成のための夜なべが原因なのか、先週はずっと風邪気味で。 なんとか週末まで頑張ったのだが、決壊し38度超えの発熱。 身体弱過ぎるよなぁ。 なんとか咳は止めなければ。ttb見に行くのに咳き込んでいられない!
『薄桜記』は金曜日早く帰って来たので追いかけ再生で見る。 (っていうか、7話の録画見てないのに!)
吉本ばななのエッセイで 『何でもそうだが、楽しさにまかせて手を出している段階の一つ上の段階があり、 そこには秩序があるものだ。』をの文章を読んで、『薄桜記』の脚本を思い出しだ。
構成が緻密に組み立てられていて、一見きれぎれのエピソードも大きな流れに浮かんでいるパーツなので、 話に破綻がない。 小さな流れが集まって大河になって、やがて大きな海に注ぐように、話に身を委ねられるのは連続ドラマの快感だ。 一話一話が面白いドラマは他にもあるけど(先クールの『リーガル・ハイ』好きだった) この流れと引きを味わうのは随分と久しぶりな気がする。 次が気になって早く見たいけど、見てしまうと終わりが近づくでそれも嫌。
典膳様の素敵さは鉄板。 下まぶたを赤く染めつつも、滾る感情を表に出さない。 武士としての様式美と自制。
先日『ブータンの幸せは自由に伴う葛藤がないからだ。選択の責任や不満がないからだ。』というのを読んで以来、 自由であることが幸せっつーのとはちょっと違うのでは?と考えている。
美も同じことかもしれない。 ありのまま、むきだしが美かというと、それはこと人間に関しては、あり得ない稀有な美じゃなかろうか。 美とは抑制であり様式であり自意識ではないか、などと麗しい典膳様を見ながら思うのでした。 剣術の稽古のシーンは言うまでもなく、立ち振る舞いの全てがかっこいいとかいけてる、とかじゃなくて、 もう、"美"なんだよなぁ。
そして高嶋弟。いいよいい! 「そりゃ、打ち入りがあったほうが面白いでしょう。」台詞も最高だが、言い方がまた絶品。 リアリティあるし。
「武士の意地っつーの見せて欲しいよなぁ」 で、打ち入り終わると 「馬鹿なことしたもんだよぇ。野蛮だねぇ。」とか言っちゃうの。 (って打ち入りあたりの雰囲気を庶民の会話で追う短編読んだことあるんだけど、あれは誰の何だったんだろう?)
安兵衛の一瞬出てきた叔父さんも良かったけど、典膳様の叔父様も毎度癒される。 すっごい良い。 最終回、原作通りのシーンに出てきたら私は泣く。
alain
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