diary

2007年10月07日(日) お父さんが・・

今日は妹と二人で母方のおじいちゃんのお見舞いに行った。お見舞いって言っても、老人ホームに入っているだけだから、病気ではない。要介護認定なんだそうで、費用は全部生活保護と年金でまかなわれているんだそう。

うちの両親は離婚していて、母方には家族がいないから、おじいちゃんの面倒をみてくれる人がいない。

2年前に、妹と二人で、お母さんのお墓参りをかねて、おじいちゃんちに行こうって計画して出かけた。着いたら、おじいちゃんの家があったはずの場所は、すっかりきれいに更地の空き地になっていた。お母さんはすでに他界しているし、母方の親戚とのつきあいもないし、唯一の頼りだったお母さんの再婚相手の携帯は、解約されていた。

近所の人に「ここの家の人はどこに行きましたか?」って聞いたら、知らないって言われたので、役場に行って事情を話して協力してもらって、住民票から移転先を調べて、住所を頼りにたどり着いたのが、老人ホームだった。それからときどき面会に行ってる。

今回は約1年ぶりだった。だいぶ間が空いた。
妹の大学院の試験が忙しかったりしてて、なかなか二人の予定が合わなかったから、お盆も顔を見せに行けなかった。
車で片道約2時間かかるから、少し遠い。

おじいちゃんは元気そうで、あいかわらずだった。
着いてすぐには私と妹のことはわからなかったみたいで
「じいちゃん、誰かわかる?」って聞くと
ニコニコして「わからん」って言ってた。
誰か知らないけど、自分を訪ねて来てくれたのがうれしかったみたい。
老人ホームでは孤独だから
誰かが自分に会いに来てくれるのはうれしいんだと思う。
名前を言ってしばらくするとわかってくれた。

お土産に持っていった秋冬物の洋服、気に入ってくれた。
1時間くらい一緒にいた。
おじいちゃんはあんまり話さないけど
私たち二人が話しかけて、なんとなくそばにいた。
記念写真を撮った。
妹が「もういつ会えなくなってもおかしくないから、記念に写真を撮っておきたい」って言ってたので。おじいちゃんは大正生まれだからね。

そのあと、お母さんの遺骨がある納骨堂のお寺へお参り。
妹と二人でお母さんに弟のことをお願いしてきた。

お母さんの家は貧乏だったみたいで
お墓を立ててあげなかったみたい。
永年管理費用のかからない共用の納骨堂に入れられてる。
はじめてお寺に行ったときには
お母さんの戒名がわからなくて
お寺の人に事情を説明して調べてもらった。
お寺の人に尋ねたら、個人個人で分けて入れてあるんじゃなく、まとめて入れられているみたいで、遺骨を取り出すことはできないって言ってた。

おじいちゃんちは取り壊されているから
仏壇に祭られているわけでもないし
戒名の書かれた位牌も写真も全部、処分されていて
お母さんが死んだってわかるようなものは
この世のどこにもない。
あるのは戸籍と、納骨堂の管理台帳の記録と
私たちの記憶だけ。

お母さんの人生がどういう人生だったのか
私にはわからないけど
お母さんが選んだ人生だし、運命なんだろうし
私にはどうすることもできないし
それなりにしあわせだったなら、それでいいと思う。
お寺にお参りに行くときはいつも
さみしくて切ない気持ちになる。

お見舞いとお参りを済ませて実家に帰ると
お父さんの様子がなんだかへんだった。
元気がない。

妹とばあちゃんに
「お父さん、なんかおかしくない?何かあった?」って聞くと
そう言えば最近いつも部屋にこもりがちで
元気がないって言う。
「病気?体調悪いの?」って聞いたら
そう言えば、最近、食後に病院の薬を飲んでるって言う。
「何の薬?」って聞いたら
妹が引き出しから出してきた。

袋を開けて中を見て、びっくり。
トレドミンとドグマチールだった。
私は薬に詳しいので、見た瞬間すぐわかった。
うつ病の薬。
薬の袋には9月28日と書いてあった。

妹とおばあちゃんは不安そうな顔で
「何の薬?」って私に聞いた。
「うつ病の薬」って私は答えた。

そして3人ともかたまった。

こういう不安なことがあったときに
一番に相談するのはお父さん。
そのお父さんがそうなら、私たち、どうしたらいいんだろう。
誰に相談すればいいんだろう。
3人とも同じ気持ちだった。

妹と二人で急いでネットで検索して
薬の詳細を調べた。
薬は2種類しかもらっていないので
たぶん、比較的症状は軽いと思う。

一番怖いのは自殺。
妹には弟にも伝えるようにって話した。
何かあったらいつでも連絡しあおうと話した。

お父さんは50代だから、たぶん、更年期だと思う。
男性でも更年期障害があるって、テレビで見たことがある。
うつに似た症状になるって言ってた。
私のお父さんはサラリーマンじゃなくて
小さな小さな中小企業の社長で自営業なので
定年やリストラはない。
その代わり、普通のうつ病の人のように
休業なんかできない。
退職してしばらく休んでから転職しようとか
そんなこともできない。

サラリーマンって大変だけど
そういうところは保障されてるからいいなと思う。

最近のお父さんは仕事から帰ると
ご飯を食べたらすぐに部屋にこもってしまうそう。
昨日もいつもならしばらく話すのに
目もろくに合わせず、2階の自分の部屋に行った。
私が話しかけても無理に笑顔を作ろうとしている感じで
とにかく様子がおかしかった。

表情が全然違ってたし、何か怒ってるのかな?と思った。
ばあちゃんとケンカでもしたかな?と思った。
でも、違った。

妹とばあちゃんはうすうすはうつ病かもしれないと
勘付いていたんだそう。
でも、二人とも、まさかねって気持ちとか
そうであって欲しくないって気持ちから
ただ単に疲れてるんだろうと思うようにしてたみたい。

先週の日曜日、家族で食事したあと
お父さんが薬を飲んでたんよね。
「何の薬?」って私は聞いた。
お父さんはそのとき「胃薬」って言った。
緑のシートだったから
「それ、抗生物質じゃない?」って聞いたら
「違うよ。胃薬」って言った。
今思えば、その緑のシートがドグマチールだった。

ドグマチールは確かに胃薬でもあるらしい。

妹は薬の袋に書いてある薬局の住所から
その近くにある病院をネットで検索しようって言った。
タウンページで住所を入力したあと
「心療内科で検索かけて」って言ったら
番地がとなりのところにある心療内科がヒット。
こんなことするのが良いことかどうかはわからないよ。
でも本人に聞くわけにいかないし
お父さんの性格上、絶対に私たちには言わないから
こうするしかなかった。

胃薬なら内科か外科よね。
心療内科なら、間違いなくうつだ。
でも、自分で気付いて病院に行って
ちゃんと薬も毎日飲んでいるし、まだ安心できる。
妹とばあちゃんにもそれを伝えた。
「きちんと薬を飲めば治るから大丈夫」と。

今日はおじいちゃんのお見舞いとお母さんのお参りを済ませて
実家で夕食を食べる、それが予定だった。
全部予定通りに終わって
「今日は疲れたね。でも大満足だったね」って話をしてる途中に
お父さんの様子がおかしいことに気付いて
その話になったから
妹はすっかり気落ちして
「今日の最後はすごく重たいね」って言ったっきり
何も話さなくなった。

泣きそうな顔をしてた。
でも、泣かないのはわかってる。
私も泣かない。
どっちかが泣けば泣き出してしまうから。
泣いてもしょうがないし、困らせるだけだから。

私が長女だから、しっかりしなくちゃいけないのはわかってる。

しっかりしなくちゃいけないって思ってたら
こうして、いやでもしっかりしなくちゃいけない状況になるなんて
人生は不思議。
何もかもが必然なんじゃないかと思ってしまう。

まるでこうなることがわかってたみたいだ。

2ヶ月前くらいから、私は「お姉さん」に戻ろうとしてたのは
偶然なんだろうか。

幸い、私は前に数回、心療内科に通ってる。
心療内科では「あなたはうつ病ですね」という診断はされないらしい。私も例にもれず、うつ病という診断はされていない。パキシルとデパスを処方された。治った。

たまにうつみたいな状態にはなるけど
たくさん寝てみたり、ゆっくり休むようにしたり
デパスを飲んだりしながら、適当にやり過ごしてる。
たぶん、今回のことで私までうつになることはないと思う。
気が張ってるから。
なるとすれば、ほっとしたときだろうな。
そのときはお父さんも治ってるってことだから
私が多少うつ病になっても平気だ。

先週の土曜日はいくちゃんとデートをしてたね。
なんだか遠い遠い昔のことみたい。
それどころではなくなった。
今思うと、あんな悩みはちっぽけだった。
しあわせな悩みだったと思う。

今回のことは悩んでも考えても仕方ないので
気をしっかり持って構えておくしかない。
大丈夫。大丈夫。
私が考えてるほどひどいことにはならない。


INDEXpastwill
wo |MAIL


My追加