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■ 映画「情婦」はおもしろーい!
映画「情婦」を見に行きました。
二転三転してさらに大どんでん返し!そして最後の最後のシーンの主要登場人物だけになったときに作者の最も言いたかった主題が会話のなかから浮かび上がってくるのですが、その理不尽なこと、理不尽なこと・・・。
私たちは法律を忠実に守って生きる。 それによって社会生活がうまくいくのですが、が、ですよ・・・。 法を守り、法によって守られるのではなく、法に操られていることに気づかされるのです。
でもそれをさらに法で取り返そうとするのですが・・・。
映画のシナリオ・・・脚本がうまいなーと思いつつ、なんと、原作者がアガサ・クリスティだからおもろいわけだ!
二転三転くらいだとわかるけどもそれをさらにシーツをいきなりさーと引っ剥がしてしまうくらいの大どんでんがえしに最後、口あんぐりなわけです。
そこまで人を騙してお前うれしいか?人の道外れて勝利を得てそこまでして生きてナンボ?という結末。 とにかくお、おもしろ〜い。
まず、映画の途中でもっともっと先が知りたくなるわけです。 そして事態は途中察しがつくが、それをさらに意外でもあり当たり前でもある方向へ。
でも主人公のデブっチョで心臓の悪い法廷弁護士は、納得がいってない・・・で、またひっくり返されて。
じゃ、今のは何だったの?という不条理に様々なことを思わずにいられなくなるわけです。
うちに帰ってチョ―ラフな格好でサウナよりも暑い(?)我が家で何も考えず・・・考えられない・・・寝たり起きたり、 そうね、思考をブロックされた状態にてシエスタ(スペイン語:昼寝の意)。
隣のお母さんがピンポーン。お隣にいつの日かからかお母さんが居ついていた。 ことあるごとにどっか行って来た甘いもの土産をくれるのです。 私は「お気になさらないでください!」と言いながらとりあえず受け取った。
先方は犬を連れてきているから犬を部屋に置き去りにして出かけると執拗に鳴くので「悪いから・・・」という気を使ってるということなのだ。 それは、わかる。
違うのだ。私の思いはもっとちがうところにある。 それは、隣り合わせで暮らしていて共に日中ひとりきり同士。
モノが行き交う中で互いの関係が深まり、日中一緒に過ごしましょうという方向へ発展することを恐れているのだ!確かに私は日中ひとりだ。
でもそのとき暇をつぶしているというわけではない。
社会復帰に向けて準備をしているのだ。 情報も集めているし、今毎日メルマガを書いているし、我ら脳卒中をはじめとした中途障害者の社会生活圏を広げるための活動をしていく場、間を虎視眈々と狙っているのだ。
けっして暇ゆえのシエスタではない。シエスタは、家庭内での地味な情報収集活動中の休憩であって暇つぶしじゃないから。
2012年08月18日(土)
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