大学の頃のお話。 いわゆる日本3アカ大学(凄い偏見)と言われる大学に通ってた。 昼間はバイト、夜勉強。当時は2部といういってみれば夜間の学部。
大学時代の私は、バイトと執行活動に明け暮れていた。安保闘争がそのまま残っていたような大学だった。 たぶん私も60年代にここに居たなら、ヘルメットをかぶり、デモにいたと今も真剣に思う。
バイトに明け暮れるというと、今で言うフリーターに聞こえるかも知れないけど当時は悲惨だった。 普通でも家賃から生活費に消えていくのに、半年に一度は、学費の支払いがやってくる。 12月と8月は、バイト代全部を、学費に支払い、生活できなくて、 田舎へ逃げ帰ったよなぁ(^^;)。
夜はキャンパスに通ってゼミ以外の講義はほとんどサボッて、自治活動に。
大学祭の実行委員。 私達の大学祭実行委員会は、一年を通して活動する。 平和盆踊り大会!10.21統一行動、大学祭、原水爆禁止実行委員会と組んでイベント!など。 当時ついてしまった夜更かし癖が今も治らない。 午前2時頃になると頭が冴えてくる。さすがに最近は歳喰ったからしんどいけどね。
年中そんな生活を過ごす中で、信頼しあえる仲間が何人も居た。 人生論、ヒューマニズム、恋愛論などを語る仲間。特に大学祭の仲間達は、生きて来た中でもっともかけがえのない仲間。 先輩も居たし後輩も。その中では女も男も関係ない。ひとつの布団で寝ても何も起こらない生活。6畳の部屋に9人、男女入り乱れて寝る、なんて毎日のようだった。
卒業してもう15年以上。仲間達は全国に散った。 北海道、東京、大阪、京都、兵庫、鳥取、熊本、愛媛‥。同級生達は、特に男の仲間たちはまったくこの傍にいない。 後輩の女の子がかろうじて3人ほど、県内と隣の県にいる。 たまには飲みに行く。当時の絆は今も変わらない。うまくは言えないが、空気が合うという感じ。 年賀状だけのやりとりにはならない。この時期が近づくと誰からともなく、用事もないけど連絡がある。
この中にとってもユニークな先輩がいる。 当時から変わっていたけど、まるど糸の切れたたこ。夢を追いかけ続ける先輩。夢はコロコロ変わるんだけど、とにかくそのフロンティア精神はいつでも感心させられる。愛知、京都、長野、静岡、東京‥その時々で常に何か追い続けている。 中途採用で全然畑違いの販売会社に入ったときなどは、わずか6ヶ月で、支店長までいっきに昇りつめ仕事も楽しいのに、違うことがしたくなったといって、辞めた。京都の時などは、お店一軒構えて順調だったのに、すべての権利を後輩に譲りまるで、朝玄関から出て行くようにあっさり辞めた。仕事がキライになったわけでもない。軌道に乗るとどうも居心地が悪くなる(笑)らしいのと、仕事やってる最中に違う夢、アイデアがちらつくようである(笑)。こうなるともう本当に糸の切れた凧。
そんな先輩が、帰った来た。 今度はしばらく地元で、仕事をするという。 東京でついた2度目の職場。平社員なのに会社の再建のために、自分の資材なげうってスッカラカラになって奥様に怒られたらしいというのもこの人ならある得る話だなあ。 この奥様がまた波長の合う人で、とても気さくで楽しい。どちらもほんとに明るいのだ。 この人の辞書にはネガティブという文字はない。いつも前向き。いつも全開。
たまーにとんでもないことしでかすが、それでもこの人はいいのだ。
そんな先輩が帰ってきた。 先輩には悪いがコレは私にとっては大変良いニュースだ。 季節はまさに秋。 今度は何を企んでいるのか知らないが、とりあえず飲みに連れまわそう!(^^)。
いつの間にか、飲みに行く時は、話を聞く、相談を受けるという立場になる事が多いんだけど、この人の前ではいつまでも説教が聞けるし、元気が出る。 心底嬉しい存在。 さてと胃を治して、飲み倒しにいくぞぉ!!!(^^;;)
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