「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2015年08月23日(日) 家族

 最近、家族とは何かを考える機会を得ています。いろんな家族の在り方がありますが、私が子ども時代に経験した家族は、機能不全の家族と言って本来の家族としての機能を持たない家族でした。(機能不全家族とはウィキペディアでは“「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す”と記されています)。一般に機能不全家族という言葉が使われるとき、親のアルコール依存や家庭内暴力などがあげられますが、私は、家庭内における機能不全の状態は小さくわかりにくい形でほとんどすべての家庭にあるものと考えています。
 ここまでは日本で育った私の経験を基にした家族の捉え方ですが、人々は家族をどのようにとらえているのでしょうか。特に大人になって自立した生活している人々にとっての家族とはなにでしょうか。例として1つの行事をあげてみたいと思います。アメリカでは夏休みの家族旅行が定番です。ご家族のいない方にとっては意味を感じない習慣であり、家族の居る方にとっては1年のうちにある楽しい行事の一つです。そんなわけで先日、友人のご家族と2泊3日の旅行へ行く機会を通して“家族”を探求する機会を得ました。その旅行日程が決まるまでの経過にも興味深さを覚えました。というのは、大人も子ども(中学生と高校生)もみな一人一人がその日程に納得するまで何度でも話し合い調整し合うのです。旅行中は一つの車の中でたわいのない冗談を言って笑いあい、大人同士は時に、1年ぶりの再会に相応しくそれぞれの人生に起きていたことを語り合いうのです。そして旅行が終わる時には、1年元気に過ごして来年もまた会おうと約束するのです。次の一年の間にそれぞれの状況によって、この約束が彼らの生きる糧になることもあるのでしょう。
 もちろんよいことばかりではありませんでした。今回の旅行以外の場面では小さな諍いの傍観者にもなりました。しかし大人達はその旅行を良いものにしようと動くのです。さらに他に楽しみはたくさんあり、それらを共有した時間の重さに比べると小さいものなのだろうと、お別れの時に家族一同で何度もなんどもハグしてお別れする様子を見て思いました。そして私をその仲間の一人として歓迎されたことにも喜びと温かさを感じました。
 以上のことから、”家族”の中には会話があり笑顔があり、時に涙や怒りもあり、それらをひっくるめて互いを尊重し認め合い長く繋がっていく関係の一つではないかと思いました。しかしきっと、私のまだ気づいていないことが”家族”というものの中に隠れているような気がして、新しい発見のきっかけを楽しみにしています。
 


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