カウントシープ
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2006年01月27日(金) 夜にいてくれる存在

すべてを任せられる妻を前にして、夫はその存在意義を見出せず、家庭を捨てて旅に出た。

そうしてムーミンパパの家出が始まるのだが、日本に限らずどこの国でも、家庭における男性の意義は薄いものなのか?家庭が子供を育む場所になったときから、夫の存在は薄らいでしまうものだろうか?

ボクの父親は、ボク達にとって母親的な存在であった。あまりに感情にむらがあるため、母親といるときは少しも心が落ち着かない。そのような状況において、父親が家に帰ってくる瞬間とは、ようやく安全が保障される時間だった。

ボクの父親は毎晩帰る時間が遅かった。平均して10時か11時、子供が起きているには十分に夜更かしだったが、ボクは父親の帰りをずっと待っていた。父親が守ってくれる環境が提供されてやっと、ボクは眠ることができるのだった。

ボクは眠れない子供だった。今で言うなら不眠症で、夜眠るのが怖く、眠ってから見る夢が怖くてまた眠れなかった。眠れないボクのために父親は本を読んでくれた。本が手元に無ければ「白雪姫」と「こぶとりじいさん」と「井伊直弼の桜田門外の変」のどれかを話してくれた。母親が『お父さんは疲れているのに・・・』と文句を後ろで言っていたけれど、けして母親が代わりに読んでくれることは無かったし、ボクも期待していなかった。

父親が帰ってこない夜は、とても恐ろしい夜だった。ボクがちゃんと眠ったかどうか、母親が見回りにくる、その瞬間は恐ろしくて身動きできなかった。見つかると酷く叱られるので、ますます眠れなくなった。

父親が不在で、どうしても眠れない夜、夜中の3時頃に、隣の部屋で眠っていた母親を起こして、眠れないと泣いて訴えた。母親は不機嫌そうに向こうに行って寝ろといい、ボクは布団の中で泣いた。

今思えば母親は不眠症で苦しんでいた。自分が眠れなくてイライラしているときに、眠れないと付きまとう子供など、とても受け付けなかったのだ。それをもっと早く知れたなら、双方にとって幸いだったろうけれど、ボクは理解力を持たず、母親は余裕を持たず、父親は伝える言葉を持たなかった。

それでも、ただいてくれるだけで、幸せを齎してくれた。


ロビン