ヤグネットの毎日
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5日は、終日質問準備なので、この日記で活動の様子を報告することはほとんどない。パソコンの前で、はたと考える前に、書いておきたいことをこれから1日がはじまるのだけれど、書いておこうと思う。 今村克彦さんのことだ。
1日の子育てシンポの第1部「ミニライブ」に快く出演してくださり、とてもすばらしい演奏を聴かせていただいたことは、すでに先日かいた。 今村さんは、現役教師とミュージシャン、語り人、祭人などマルチな顔をもつ人間である。 なぜ、彼は現役の教師でありながら、ミュージシャンなのだろうか? 僕はいつもこのことが気になってしかたなかった。それは、漠然と「議員でありながら音楽活動をやっていきたい」という自分のこれからと重ねていたからかもしれない。 そんなとき、今村さん率いるダンスチーム「関西京都今村組」の公式サイトのなかの今村さんのコーナーのなかで、僕の疑問に見事にこたえているくだりがあった。少し長いが引用する。
私は教師である。人がどう思おうと私は断じて教師である。また、私は音楽人(ミュージシャン)である。プロかアマかなどはどうでもいい。とにかく私は音楽人である。 先日、あるテレビ局の取材を受けた。そのテレビ局は、教師をしながら本も出し、音楽人としてCDも出している私の特異性が、マスコミ的に「面白い」と考えたのだろう。 「先生はなぜ、教師と音楽の二つの生き方をするんですか?教師を辞めて音楽をしていくつもりはないんですか?」 取材の中でこのような質問を受けた。そのとき私はこう答えた。 「教師も音楽も辞めるつもりはない。私にとって教師とは『教え導く者』ではないんです。私にとって教師とは彼ら子どもたちと共に生きることで、何度でも青春をやり直させてくれるモノなんです。そして、音楽とは、私に何度でも青春を繰り返させてくれる子どもたち、若者たちに贈る私からの贈り物なんです。表現方法を知らないあいつらの代わりに、私が音楽であいつらの想いを表現したいんです。今村克彦著『明日への誓い』プロローグより まだ、このプロローグは続く。関心のある方は、以下のURLから、今村克彦の部屋を探し、「語り人」のコーナーをみてほしい。 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/imamuragumi/main.html
僕にとって、議員活動とは、有権者に施しを与えるものではない。「〜してあげている」ではないのだ。一人ひとり様々な人生のなかでのもがきや苦しみ、願いを共有して、少しでも人間らしい生き方を模索することであり、僕自身の「人生のやり直し」かもしれない。そして、音楽を通じて、僕がみた風景や人々の生きざま、葛藤、喜び、悲しみを表現して、届けることができれば、と生意気だが考えている。 そのためには、相当音楽的な技術を向上させなければいけないが(汗;)
引用した部分からの文章がすばらしい。ぜひ、続きを読んでほしい。
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