2001年08月07日(火) |
「纏足」 作・馮 驩才 訳・納村 公子 小学館文庫 |
わたしの手許に、今日取り上げる「纏足」という小説と共に、「宦官」という本が ある。 「纏足」も、「宦官」も、古くから中国に存在した、いわば、人工的に作られた奇 形である。 そして、中国の近代化とともに、両方ともに消えてしまったらしい。 この小説の感想を書こうとして、題名の「纏足」という言葉を打ち込もうとした ら、「てんそく」で変換で出てきたのは「天測」のみ。仕方ないので、「纏める」 「足」と打ち込んで、間の平仮名をバックスペースキーで消した。 「宦官」は、小説ではない。 「側近政治の構造」というサブタイトルのついた、いわば論文調のものだった。 不思議なことに、「かんがん」は、一発で変換できた。 単に、一般的な言葉でないから変換の候補に上がらないのか、それとも、「纏足」 という言葉自体に差し障りがあるのか。 いずれにせよ、取り上げられることの少ないものであったのだろう。 訳者のあとがきでも、それが語られている。 中国では、この小説が発表されたときに、作者に対して、お上から注意が行ったと いうのだ。 現在、「纏足」が存在したということを、中国は忘れてしまいたいらしい。 確かに、作中でも、美しい「金蓮」(纏足)を作るためには、如何に残酷で、激し い痛みに耐えねばならないかが語られている。 その物語は、 『女の纏足のなかに中国の歴史があるなんてことを言う人がおりましてな。うまい ことを言ったもんです』 という言葉ではじまる。
七歳の少女、香蓮は、天津の街に、天変地異の前触れかと思われるような奇怪な出 来事ばかりが起こったその日、祖母によって、纏足を施される。 生きたまま胸を開いた鶏の腹に足を突っ込ませて血塗れにし、足の骨を折り、砕 き、指を内側に向けて、その足を細い布で縛り上げ、綺麗な形を作るために、その 痛い足で歩けと言われ、歩けなければ棒で叩かれる。 い、痛い。読むだけで痛いような詳しさ、生々しさである。 しかし、彼女は、綺麗な足になるために、地獄の痛みに耐える。 長じて、彼女は、小さく形よい足ゆえに、祖母とふたりきりで貧しい暮らしをして いたにも関わらず、天津でも指折りの名家の長男の嫁に迎え入れられる。 ……此処で終わればシンデレラストーリー。 嫁に行ったら亭主は、粗暴で幼稚。 しかも、夫婦喧嘩の最中に、ぶっ倒れて、あっさり死んでしまう。 十代にして未亡人になった香蓮の人生は、此処からはじまった。 元々綺麗で形のよい足に、更に磨きをかけ、そして、物腰や、話し方、歩き方まで 完璧に学び、天下一の足の持ち主と言われるまでになった。 ……此処で終われば、サクセスストーリー。 歴史は動いていて、纏足は国の恥という声が上がりはじめる。 香蓮は、「自然足の会」という、纏足に反対する女たちの会と対立することにな る。 否定されても、一度縛った足は、生涯縛りつづけなければ、歩くことも叶わなくな る。 そして、纏足を否定することは、己の人生を否定することになる。 後世に生きる読者は、香蓮が勝てる道理は無いと知っている。 しかし、それでも、香蓮は、天下一と言われた自分の足がどれほど素晴らしいもの かを堂々と、衆人環視の中で示してみせることになる。
物語の結末までは書かないが、「纏足」という風習が、現在どのように扱われてい るかは、だれもが知っていることと思う。 纏足の女性は、現在もまだ中国にいるものの(余談だが、最年少は五十代だとい う)、数十年内には、現物の纏足を見ることは無くなるだろう。 残酷で、悪臭を放つ、恐ろしくグロテスクな纏足。 しかし、この小説の中で、男たちは、纏足に目の色を変える。 日本でも、江戸時代までは、人妻のお歯黒は、たまらなく色っぽいものと認識され ていたというし、美の基準は国によっても、時代によっても違って来るのだろう。 そして、美しいものは、時に残酷でグロテスクであるのかもしれない。
|