日々是迷々之記
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2005年04月01日(金) 泣ける掃除

といっても、感傷の涙ではない。リアルににじむ涙。臭い、やりたくない、なんで自分がやらなきゃいけないのだぁといういやいや感の末の涙。実家を引き払うための作業の初日である今日は、そんな感じだった。

会社は4時に上がらせてもらう。それから実家に直行。そして片づけ。ドアを開けた瞬間、けものの匂いがした。なんでだろうと思ってふところころ車のついたキャビネットの下からはみ出た物体に目をやる。粘着式のねずみ取りにねずみがくっついている。もちろんお亡くなりになっており、ご丁寧に他の虫が集まって、一生懸命分解にとりかかっているではないか。

私は新聞をばさっと乗せ、キャビネットの下から引きずり出す。見ないようにしていたが、長いしっぽがでろりんとはみ出ていた。○△◇!!!よくわからない心の叫びを上げつつ、黒いポリ袋に入れることに成功した。他の古新聞を突っ込んで廊下に出す。

ふっと思わずため息が出る。

片づけた物はとりあえず、ねずみと古新聞の一部のみである。なのにこの疲れはなんだ。涙までにじんでるではないか。まだ外が明るいのがせめてもの救いか。

次に食器棚を開けて、調味料などの食料品を捨てる。賞味期限が1900年代のものがごろごろ出てくる。小さな虫がわいているものもある。がしゃがしゃと捨てまくる。みのもんたの影響だかなんだか知らないが、大量のシナモンがあったのが謎。それに謎の健康食品のタブレット。みんな黒いポリ袋に入れる。二袋目が一杯だ。

その次はリサイクル用にストックしていたと思われる物体を捨てる。ミネラルウォーターのペットボトルに、牛乳パック、ばんばん捨てる。ふう、これで三袋目が一杯になった。

ふと玄関のたたきに目をやると靴が目に付く。私が高校生の時に体育の時間に履いていた靴である。こんなんどこに履いていっとったんや!と思うと頭がくらくらする。下駄箱を開けると、出るわ出るわ、私が昔に履いていた靴たち。全てちぎれたりなんかしてぼろぼろである。何でこんなものを取ってあるのだ。私は無言でゴミ袋に突っ込む。母親自身の靴もあるが、安物のふにゃふにゃの合成皮革のダサ靴ばかりである。

何だか泣けてくるのはこういうものを見たときだ。60過ぎてぼろ靴の女、ってどうなんだろう。どっかの問屋で買ったようないまいちイケてない、品質もアレなものばかりが、大事そうにしまわれている。私は今年で33歳。初めてビルケンシュトックの靴を買った。高いなぁと正直思うが、履きやすさ、質感、そして「あ、それってビルケンシュトックですよね。」と言われることの、分かりやすいステイタス感。全てがその価格には含まれているのだ。

そうやっていろんなことを考えながら4袋のゴミ袋を一杯にしたところで初日は終わりにした。それ以上やる気力もないし、胸がいっぱいで手は真っ黒だ。

夕焼けの中家路を急ぐ。カブで走りながら、悲しいんだか、嫌なんだか、訳の分からない気持ちで一杯だった。これが一ヶ月続く。2,3日前から口の中に小さな膿の溜まったはれ物が出来ているのだが、これは気持ちと関係あるのだろうか。そんなことを考えていると、一気に日は沈み、家に着いた。

リミットは30日。わたしは頑張るのだろう。


nao-zo |MAIL

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