日々是迷々之記
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2005年04月27日(水) |
惜しまれながら去ってゆく |
明日で仕事も終わりである。昨日の晩、結局3時までかかったが、全員の似顔絵を描いたカードを作った。これがまた喜んでもらえ、うれしかった。ポラロイド写真風に処理した桜の写真部分をデスクに飾ってくれている人もいる。
別のフロアに用事があって、書類を持ってゆくと、階段の踊り場で同じ派遣会社から来ている女子に声をかけられた。急に辞めるのがどうしても気になっていたらしい。私は、いつものように母親が倒れ、その関係で多忙な日々が続いており、居眠りやため息を咎められることが多々あり、上司の方から母親の方に専念したらどうかと勧められたからと答えた。
で、お給料はどうなんですかと聞かれた。うーん、いい質問である。契約自体は5月末まであるので、派遣先からの一方的な解雇なら働かなくても5月分の給料はもらえる。が、今回はどちらかといえばこちらに非があるので、まぁ無給やねん、と答えた。
すると彼女は、「えー、それっておかしくないですか?そんなん、しょうがないじゃないですか。」若いなぁ。私も普通にそう思うけど、それを口に出すのははばかられる。何も親が倒れたら皆がうつになるわけでも、睡眠薬や精神安定剤を必要とするわけでもないからだ。結局は自分の中の何か弱い部分が、親の突然の半身不随という引き金によって引かれたに過ぎない。
生きてゆくというのはこういうことなんだと最近思う。楽しいことばかりをつないで、いつも笑ってはいられない。暗くてはじっこのつかめないくらい大きな毛布を頭の上からかぶせられて、もがいている。そんなもがいている時間も自分の人生の一部だと認めなければならない。
もうすぐ4月が終わる。大阪では自転車に乗るのに一番心地よく感じる季節だ。しかし私は一度も自転車通勤できずに、この季節を終えようとしている。実家を引き払うのを決意してから、終業後に埃にまみれて実家の整理。家と会社と実家はそれぞれ離れているので自転車で行き来する気にはなれなかった。
季節は人を待たない。また来年って言いながらどっかへ行ってしまうのだ。
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