日々是迷々之記
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2005年05月11日(水) ドトウの日々

毎日毎日鉄板の上で焼かれていたのはたいやき君だが、私は毎日毎日母親の用事で飛び回っていた。

まず、家を引き払った事による解約関係。電気、ガス、水道、電話、ケーブルテレビ、インターネット。この全てを解約し終わるのに結局2日かかった。ネットで電話番号を調べたり、電話しても本人からの申し出がないと解約できないと言われて押し問答になったり、ぐったりである。

ちなみにこれらの中で一番めんどくさかったのは、意外なことに電話である。まず、契約者本人からの申し出でないとダメと言われた、次に契約している番号からの電話でないとダメらしい。家は4月いっぱいで引き払い済みなので契約している番号からはかけられない、契約者本人は…別にまだ生きているが死んでしまったことにしてやっとこさ解約できた。すまん、母よ。

しかし、契約者が突然死んだりして代理人が契約を解除するという申し出をどうするか、というのはマニュアル化されてない場合が多かった。ケーブルテレビやインターネットは端末のシリアルナンバーを言えばスムーズに行ったが、電話をはじめとする生活インフラ類は解約が素直に行かなかった。まぁ、簡単に他人が悪意で解約できるようじゃだめなんだろうけど。

週明けからは物理的に飛び回っていた。母親の転院が決まったのだ。今まで入院していたのは救急車で運ばれた救急病院である。そこに5ヶ月入っていたのだが、さすがに容態が落ち着くと転院してくださいと言われる。そこで病院のソーシャルワーカーさんに相談して転院先を決めるのだ。

で、月曜日に決まったという連絡があり、火曜日に転院するという。わたしは火曜日に新しい派遣の面接が入る予定だったので、どうしたもんかと思ったが、有り難いことに転院先の病院が、車で母親を迎えに来てくれるとのことだった。私は夕方に手続きをしに行けばいいらしい。

結局派遣の面接は金曜日に流れた。ので昼過ぎに転院先の病院へ向かった。が、これが遠いのである。片道15kmくらいありそうだ。しかも途中の道は延々と工事で一車線規制。もう右折するのに信号3つぶんかかるくらい道が混んでいる。とほほほほ〜となりながら、小一時間かけてその病院にたどり着いた。

その病院は明るい病院だった。オレンジと白を基調とした色遣いで、小さいながらも和気あいあいとした雰囲気。母親も環境は変化したが、それを不満には感じていないようだった。

しかし、弱った老人はよく詫びる。うちの母親のような他人に「ありがとう。」「ごめんなさい。」を言ったことないような人間でさえ、弱ってくると他人に対して済まないと思うらしい。母親が口にしたのは、「救急車で運ばれてきたときに、下着が汚れていたので看護婦さんに迷惑をかけた。」で、ある。ほえー、人は変われば変わるもんだと驚いた。

その他にも、「おむつが足りなくなって病院から借りたのでちゃんと返してあげて。」とか、「このパジャマは前の病院のだから、早く返さないと…。」とかしきりに言っていた。そんなことよりも、自分のこと心配せーよと思わないでもないが。

はいはいと会話をして、看護士さんの話を聞いて帰ったらもう8時前だった。…。一日これで終わりかよ、と思ってしまった。まもなくして相方帰宅。ごはんを食べながら、病院が遠いし道が混んでるので行くのが余計と憂鬱や…とこぼすと、「まぁ、おむつ運びがないからええやんか。」と言われた。

そうなのである。新しい病院はおむつは病院側が用意してくれるので、家族側が用意しなくていいのである。今までは家族が用意しなければならなかったので、連日のおむつコール。そのたんびにディスカウントストアでおむつと尿パッドを購入し、原付に縛り付けて病院に行っていたのである。それから解放される。それだけでも嬉しいではないか。

さて、これからの課題は老人ホーム探しである。期限は3ヶ月。うちの母親のように治療を必要としないが、家には帰れない老人は一つの病院に3ヶ月しかいられないのだ。また病院に移るという方法もあるけど、それだとまた3ヶ月したら移らなくてはならない。それならいっそ老人ホームに移った方が面倒がなくていいのだ。(生きてる限りは追い出されないという意味で)

今は無職だから時間の余裕があるが、もし、金曜日の面接がうまく行ったらまた忙しい日々だろう。自分の仕事と親の世話。いやはや、それなりにたいへんなものである。


nao-zo |MAIL

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