エスムラネット・日記

2003年10月05日(日) 戦争と平和

 朝、何故か起き上がることができなかったため、「おそ昼……」の音声を聞きながら惰眠を貪り、14時頃にようやく覚醒した。これは本来、平日しっかり働いている人のみに許される起床パターンである。しかも、起きてからすぐに、録画してあった映画「ピンポン」とドラマ「さとうきび畑の歌」を、続けざまに観てしまった。
 まずは「ピンポン」だが、窪塚洋介の演技はやはり鼻についたのだが、それでも2度ほど泣いてしまった。後で数人の知人から「あの映画のどこで泣くのだ?」と不思議がられたが、泣いてしまったものは仕方がない。「実は、お互いがお互いのヒーローであった」という辺りが何だか良かったので、「脚本家は誰?」と思ったら、宮藤官九郎であった。私は、クドカン作品は「僕の魔法使い」しか観ていないので、昨今の「とりあえずクドカン誉めときゃいいかァ」といった風潮(?)にはやや懐疑的だったのだが(天邪鬼)、「ピンポン」を観てやや考えが変わりそうになった。が、やはり後で知人に「ピンポンには原作があるんだよ」と知らされたため、今は再び「池袋ウェストゲートパークと木更津キャッツアイを観てから判断しよう」と思っている。などと、勝手に偉そうなことを書いているが、もちろん、「テメエの評価なんか、クドカン様には何の意味もねえんだよッ」いや「テメエに、他人様を評価する資格なんかねえんだよッ」というのは、百も承知である。というか、今さら「ピンポンを観た」だの「脚本はクドカンだった」だの「実は原作があった」だのと書いている時点で、すでに私はアウトであろう。
 そして「さとうきび畑の唄」だが、これは総計5回は泣いたと思う。涙のダンピングである(もともと私の涙に価値はないが)。ついこの間まで、「あからさまなお涙ちょうだいにはダマされないよッ」とうそぶいていた私だが、歳を取って少しは素直になったということか。それとも「泣くのは、ストレス解消の一種である」というが、よほどストレスがたまっていたのだろうか。こんな生活をしていて、一体何のストレスだ。
 というわけで、このドラマについては「史実に忠実でない」「ご都合主義的すぎる」「沖縄を舞台にしているのに、何故主人公は大阪出身なのだ」といった批判もあるようだが、私はかなり身を入れて観た。特に印象的だったのは、「アメリカ兵に会ったら、Do you kill me?と言うのよッ」と必死で叫ぶ仲間由紀恵の演技(割とファンなので)と、次男役の勝地涼のかわいさ(結局それか)であった。
 それにしても、(先日「戦場のピアニスト」を観た時にも感じたことだが)「平和な状態と戦争状態とは、地続きなんだなあ」とつくづく思う。どれほど長く平和な状態が続いていても、一度火がつけば、世の中はあっという間に極限状態に陥るのであろう。それを防ごうと思ったら、(とてもありきたりな結論になってしまうが)やはり我々一人一人が、世の中の動きに目を向けておかなければならない。
 一時期、マスコミなどで小泉首相の右傾化が取り沙汰されていた。それはもちろん、注意しなければならないことだが、本当に恐ろしい勢力というのは案外、思いがけない所から出てくるような気がする。不況が続き、人々の不満がつのっている(たぶん)今日この頃である。政治家でなくとも、もし今、「民衆の味方」のような顔をした勢力が現れたら、圧倒的多数の人々の支持を得て巨大化するかもしれない(でも、現代社会は利害関係が複雑化しすぎているので、「圧倒的多数の人々の支持を得る」ということ自体、ないかもしれない。何だかよくわからなくなってきたので、もう止めようと思う)。

●本日の行動
・深夜、友人と2人で、阿佐ヶ谷駅前の屋台のラーメンを食べた。以前から何となく気になっていた屋台である。友人が、トレイの上に重ねてあったグラスに水を注ごうとしたところ、客の老女に「それ、使用済みのやつだから」と止められた。すると屋台のオヤジが、「あ、水ね、ハイハイ」などと言いながら、まさに老女が「使用済みだから」といったグラスに水を注いで、我々に手渡した。老女は何となくこちらの様子をうかがっている。はからずも老女とオヤジの板ばさみになり、大変困った。仕方がないので、老女が席を立つのを待ってから、チョビチョビと水を飲んだ。ラーメンの味は、普通であった。と思う。世の中には「美味いラーメンしか食べたくないッ」あるいは「毎日ラーメン食べても平気ッ」というラーメン通の方が少なからずいるようだが、私には「ラーメンの味の良し悪し」が、イマイチよくわからない。わかるのは「麺にコシがあるかないか」ぐらいである。


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森村明生 [MAIL] [HOMEPAGE]

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