「硝子の月」
DiaryINDEX|past|will
「宰相!」 中年の男が怒鳴った。 「この女は一体何なのだ!例の話が聞けるとお前が言うから、わざわざ足を運んでやったというのに…」 「陛下」 背筋が凍りつきそうなほど冷ややかな声で、男が答える。 「たとえ陛下であろうと、『叡智の殿堂』を統べられる御方様には敬意を払って頂かなければ困りますと最初に申し上げたはずです。それとも、殿堂の一族を敵に回されるおつもりですか?」 「…だが、しかし…」 「陛下」 「…う、うむ。解った…」 宰相の気迫に気圧されてか、中年の男はごほんと咳払いをすると、あらぬ方を向いている女に呼びかけた。 「…その…、御方…殿」 「そのような妙な呼称に応える謂れは無い」 びしゃりと撥ね付けられて男は又も声を荒げようとするが、宰相の視線にぐっとこらえる。 「…『永き者の寵を受ける方』、どうか先ほどの話に付いてもう少し詳しい話を聞きたいのだが…」 国王が痺れを切らすか切らさないかという絶妙の沈黙の後、女はゆっくりと煙を吐き出す。吐き出された煙は不思議な事に、くるくると螺旋を描きながら宙に消えて行った。特別な吐き出し方でもあるのかと興味本位で以前女に尋ねた事があるが、女は笑ったまま応えてはくれなかった。何故そうなるのか、宰相は未だに解らない。 「例のモノに出会いたくば、まず『紫紺の翼持ちたる証』を手に入れよ。さすればいずれ『赤き運命』が『挑む者』を」紡ぐであろう」 言い終わるや否や、女はくるりと背を向けてしまった。 謎めいたその言葉に国王は更に言を継ごうとするが、宰相の言葉に遮られてしまう。女が背を向ける時は、これ以上語る気が無いのだということを彼は国王に言っていなかった。それに、彼が知りたい事は十分彼女は語ってくれた。 「御助言、ありがたく承ります。この御礼は必ず」 深々と一礼し、国王に対しては有無を言わさず目で退出を促す。不承不承の態で部屋を出て行った国王に続いて彼が踵を返そうとした瞬間、背を向けたままの女から声が飛んできた。 「ウォールラン、有史以来歴史は女が動かしてきたのだということを不愉快極まりないあの男に教えてやれ。始めに知恵を得たのは男ではない、とな」 ウォールランは内心嘆息する。彼女の知識には――彼にしては珍しく――心からの敬意を表するが、こういう瑣末事にかかずらう処は女ならでは、とも思う。 彼は、もう一度お辞儀をして言った。 「季節柄、御自愛下さい」
|