「硝子の月」
DiaryINDEX|past|will
2001年12月07日(金) |
<回転> 立氏楓、瀬生曲 |
青空に一羽の黒い鳥が弧を描きながら飛んでいた。 ピイ、と一際高い声を上げると、その鳥はゆっくりと崖の上に立つ人間の元へと舞い降りる。その崖の下には、彼等自身は知る由もないが、先刻の三人が会談していた建物があった。 並みの人間なら卒倒しかねないほど高いその場所で、しかしその人物は平然と、その無造作に高く結われた長い髪を風になびかせていた。 「御苦労だったな」 凛とした唇から漏れた声は、低いけれども間違いなく女声。 腰の布袋から出された肉片を嬉しそうについばむ鳥――それはアニスと同じ、但し色は漆黒のルリハヤブサ――を優しい瞳で見つめながら、女は呟いた。 「『赤き運命』がやっと現れたか…」 心地よい風が、決して軽くはない武具で覆われた身体を吹きぬけて行く。女は、その顔にも、剥き出しの引き締まった腕にも、美しいオリーブ色の肌が見える場所には全て無数の傷が刻まれていた。おそらく、マントの下も同じであろう。 「ピィ」 信頼する相棒の声で、女は我に戻る。 「ん?なんだ?」 「ピピィ」 「これからどうするのかって?」 鳥の問いかけに女は再び崖下の建物に目をやる。 「…そうだな…。運命はまだ回り出したばかりだ。急いで追う事もないだろう」 鳥が小首を傾げて、彼女の答えを促す。 女は不意にくるりと踵を返すと、鳥がのっている腕を勢い良く振り上げた。 「とりあえずは我が主の元へ帰るとするか!ヌバタマ」 ばささっと天空に飛び立つと、ピィと賛同の声を上げた。
「『御方』」 長椅子に寝そべる女は溜息と共に声のほうを見やる。 「略すでない」 さして変わらぬ呼び方をしたというのに、先刻の中年男へしたのとはかなり違った対応である。 そこには白い少女が立っていた。薄地の白い長衣と、頭からも同じ素材の布を被っている。胸の前で組んだ手だけが外に見える素肌だった。 「珍しいの、そなたがここへ参るなど。お掛け」 彼女に自分の対面の椅子を薦める。 「その椅子にですの?」 不思議と声が布によってくぐもることはない。 女はおかしそうにくつくつと笑った。 「そうであったの。あのような者の触れた椅子にそなたを掛けさせるわけにはゆかぬわ。あれは後で棄てさせるとして……おいで」 手招かれるままに少女は女の傍らに寄り、女の大腿の前、軽く向き合えるように同じ長椅子に掛けた。この館の主を知る者――例えば先刻の宰相閣下――が見たら卒倒しかねない行為である。 「どうした?」 笑みを含んだ黄金の双眸が向けられる。 「お会いしたかったのですわ。『紡ぐ』のに飽きましたの」 「『白き紡ぎ手』のそなたがか」 女はまたくつくつと笑う。 「だって、退屈なのですわ。一人きりで糸を紡いで。この間伺ったお話もすっかり擦り切れてしまいましたのに」 薄布を透して少女の不機嫌が伝わる。 「新しき話を聞かせてやろう故(、機嫌をお直し」 「はい、『御方』」 「略すでないと言うに」 素直に頷く彼女の頭を、女は笑いながら撫でた。
|