地元の図書館で本を借りた。直木賞作家である海老沢泰久さんが書かれた『球界裏の演出者たち』。タイトルの通り、野球界を陰で支える人々に焦点を当てた本である。 その中に「スポーツ新聞記者」というテーマがある。日刊スポーツ(当時)の名物記者を描いたものだ。
こんな文章が、私の心に留まった。日刊スポーツの仕事を初めて経験したときに海老沢さんが感じたことである。
「実際に記者席に座ってみて気づいたのだが、これはぜひとも書いておかなくちゃならないと思うような試合が、考えていたよりずっと少ないということだった。ほとんどの試合はダラダラと長いばかりの凡戦で、楽しみといえば試合がはやく終わってくれることだけだった」 海老沢さんは子供の頃、野球記者に憧れていたが、「憧れていたほど楽しいものではないことを知った」とも書いている。
電車の中で、この文を読んだとき、私は思わずページの端を折り曲げた。何か心にズシリと響いたからだ。帰ってから、読み直そうと思った。
同じページに名物記者の言葉もある。高校野球について書くときに感じることだという。 「記事がみんなセンチメンタルになって、ときどきふっとおれたちはどんな読者を対象にしてスポーツ新聞をつくっているんだろうと思いますね。女子供向けにつくっているんじゃないんだぞと思います」
スポーツライターのNさんに教わっていたとき、「自分の書きたいことを書くことは、難しいことじゃない。でも、それだけをやっていたら、ライターとして飯を食っていくことはできない。やりたいこと、書きたいことだけやってたら、生きていくことはできないよ」と言われたことがあった。
これは新聞記者にも当てはまる。「センチメンタルな記事を書きたくない」と思っていても、読者が、そしてデスクが逆のことを要求していれば、自ずとそうならざる負えない。 「書きたいことを書けること」は、年に数回程度なのだろうと思う。
大学を卒業して、あっとう間に2年が経った。来年には3年目を迎える。就職活動は、スポーツ新聞を中心に受けた。内定直前までは何度か来たが、「決定」まで至ることはなかった。
野球がオフシーズンに入った。野球が終わると、色々と考えることが増える。考えられる時間が増える。つくづく、野球中心に生きているのだなと実感する。「これからどうしよう」と自問自答する日々が続く。 「自分の書きたいことを書きたい」という究極の目標だけは、常に持ち続けたい。そういう意味では、細々と続けているこの『野球日記』は最高の舞台だと思う。
なお、『球界裏の演出者たち』は昭和62年に発行された単行本です。「スポーツ新聞記者」の他にも当時、公式記録員だった千葉功さん、パ・リーグ広報部長の伊東一雄さんや、日本に初めてスコアラーという考えを導入させた尾張久次さんのお話しもあります。10年以上前の本ですが、今のプロ野球について、考えさせられることが多い本でした。お薦めの一冊です。
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