2001年11月30日(金) |
アンチ長嶋茂雄だった |
こんなことを書いたら非国民だと言われそうだが、私は大のアンチ長嶋茂雄であり、アンチ巨人、アンチ読売グループでもある。ジャイアンツもヴェルディも、日テレも読売新聞も嫌いだ。明確な理由は分からない。気が付いたらキライになっていたのだ。
もう2ヶ月も前のことになるが、長嶋監督が辞任した。東京ドームでは盛大な引退セレモニーが行なわれ、日テレはその模様を最後の最後まで放送した。私は、とりあえず見た。アンチ長嶋と言えども、やっぱり見てしまった。「書く」ことを職業にしたいと思っているから、このような歴史に残る1ページを見逃すわけにはいかない。ただそれだけの気持ちだった。 引退セレモニーが終わると、大の巨人ファンである女友達からメールが入ってきた。「長嶋さん今までありがとう。長嶋さんがいないプロ野球なんて考えられな い。来年から野球を見なくなりそう」 「コラコラ! なんて大げさなヤツだ」と思った。でも彼女は長嶋監督の笑顔が好きで笑顔が見たくて、巨人ファン、野球ファンになった。以前、目を輝かせながら、そう話していた。とてもじゃないが、「オレ、アンチ長嶋なんだ」と言えるような雰囲気ではなかった。 彼女は私と同じ年の24歳。当然ながら、現役時代は知らない。でも、長嶋さんの魅力にとりつかれた。笑顔にハマった。
私はこんなふうに、アンチ長嶋と言っておきながら、ホントにそうなのかなと思った瞬間があった。あの一瞬、身体は固まり、長嶋さんの姿、笑顔にオーラを感じた。 昨年、毎日新聞社が主催した日米野球があったが、私は事務局でアルバイトをしていた。大会期間中は東京ドームやセイブドームのベンチ裏や主催者室に入ることができ、野球好きにとってはこれ以上ない「おいしい」仕事だった。 そこで第何戦かは忘れたが、東京ドームでボクシングの畑山隆則が始球式をしたときがあった。主催者室にいた私は、生・畑山を一目見ようと、一塁側のベンチ裏通路で待ち構えていた。 すると、何と一塁ベンチから日本チームの監督を務めていた長嶋さんもひょっこりと姿を現した。「畑山くん、ナイスピッチ!」とTVで見慣れた笑顔で握手を交わした。畑山を見に行った私は生・長嶋にくぎづけ。「お〜!長嶋さんだ〜!」と野球少年のように、純粋に喜んでいた。しばらく興奮は収まらなかった。
長嶋監督の辞任が発表されると、書店には「長嶋茂雄特別号」が数多く並んだ。私は日頃から慣れ親しんでいる「ナンバー」の「長嶋増刊号」を買った。特に、「すごく読みたい!」と思って買ったわけではなく、「長嶋引退」を自分の記憶に残しておきたかったからだ。 だから、買ったはいいものの、ずっと部屋の隅に置きっぱなしだった。暇なときに読もうと思いつつも、そんな余裕もなく・・・。 それが最近、やっと読める時間ができた。これがまた、読み始めると面白い。仕事中も、ずっと読んでいたほどだ。読み終えて思ったのは、じつは長嶋さんについて、「何も知らなかった」ということだ。誰かが長嶋さんについて語ることはあっても、長嶋さん自身が語る機会をあまり見たことがなかった。あったのかもしれないが、アンチ長嶋であるがゆえに、避けて通っていた。
「ナンバー」を読んで、考えさせられた。そして、なぜ長嶋さんが多くのファンから支持されているのか、おぼろげながら理解できた。長嶋さんはファンのことを第一に、魅せるプレーを常に考え、誰よりも野球が好きだった。今、私に「アンチ長嶋です」と堂々と言える自信はない。
スポーツジャーナリストの玉木正之氏との対談の中で、こんな言葉があった。長嶋さんがルーキーのとき、首位打者争いの真っ只中にいたときの話しである。
「腹立たしいというよりも、不思議に思ったですね。タイトル争いの、こんなおもしろいときに、なんで田宮さんは休むんだろうと、ちょっと首を傾げましたね」
「敬遠攻めには、正直言って腹が立ったというか、非常に残念でした。だって、大勢のお客さんが見に来てくださっていて、しかも、お金を払っていただいていることはもとより、貴重な時間を割いてわざわざ来てくださっているのに、失礼ですよね」
今更ながら、長嶋ファンには「気づくのがおせぇ〜んだよ!」と言われそうだが、「あぁ、長嶋さんの魅力はこういうところにあるんだな」と感じた。プロフェッショナルを感じられた。
長嶋ファンの女友達の気持ちが今ならわかる。長嶋茂雄を好きになりそうだ。早く一人前のスポーツライターとなり、長嶋さんに話しを伺ってみたい。
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