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しもさんの「気になる一言」
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2025年05月31日(土)
稽古は裏切らないから

大関・大の里が横綱に昇進した。
多くの人が、コメントを寄せている。
その中で気に入ったのが、
「横綱になっても、稽古を大切にして欲しい」
というもの。
続けて「稽古は裏切らないから」とコメント。
横綱になったからといって、(忙しさを理由に)
稽古を減らすのはもってのほか。
横綱こそ、他の力士より稽古をして欲しい。
そんな気持ちが込められていた。
このまま、横綱らしい成績をおさめるには、
稽古が一番、と言いたいようだ。
「本場所で負けたら、稽古が足りない、と思え」
そんな意味だろうか。
努力は報われる、という意味だな、きっと。



2025年05月29日(木)
皺は、誇り高く刻むものである!

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「唇の上の、皺」)
「皺は伸ばすものでも、隠す対象でもなく、
誇り高く刻むものである!」
これまた、なるほど・・である。
うつ病になってから、笑うことがなくなり、
眉間に皺ばかり寄せていることが増えた。
鏡に映る顔を見てため息ばかり(汗)
そうか「皺は、誇り高く刻むもの」なのか・・と、
自分の皺を改めて見直した。
これからは素敵な皺を刻みたいと思う。



2025年05月27日(火)
病気を忘れるとき、病気が治る

書籍「大河の一滴」
(五木寛之著・幻冬舎文庫刊・329頁)から。
図書館で借りてきた単行本、
手元に置きたくて、文庫本を買った。
心に残ったのは「病気を忘れるとき、病気が治る」
どこかで読んだ文章の一節らしい。
私は、ハッとさせられたフレーズとなった。
いつも病気のことばかり考えているから、
病気が治らないんだ・・と。
病気だということを忘れてしまうと、
知らないうちに、病気が治っている、
と言うことらしい。
病気のことを忘れられるほど夢中になれること、
いや、家事でも構わない。
病気のことを考える暇を与えないこと。
これを見つければ、いいと言うわけだ。
あまり難しく考えない方がいいらしい。
私の場合、今のところ、読書かな。(汗)
それとも、TVのスポーツ観戦かな。(笑)
この二つをしている時は、
少なくとも、病気のことは考えていないもの。
どちらも、ちょっと違う気がするけれど。



2025年05月25日(日)
笑顔・笑顔・笑顔

何度も書いてきた「笑顔」の大切さ。
そう考えたら、3年前、うつになってから、
私の「笑顔」がどこかに消えてしまったらしい。
思えば、発病以来、心の底から、笑ったことがない。
笑おうと思って、サンドイッチマンをはじめ、
お笑いの漫才、コントなども何度も見たが
「ニヤリ」とはなるけれど、声を上げて笑うことはない。
今、私が意識しなければならないのは、笑顔。
昔のような私の笑顔を見たい、という人も多い。
ありがたい話だ、と思いながら、笑う努力をしたい。
おかしくなくても、ニヤリでなくて声を上げて笑うこと。
そのうちに、心の底から笑えるようになるようだ。
「笑顔・笑顔・笑顔」信じて笑ってみたい。



2025年05月23日(金)
未熟って意味じゃないわよ。未知数って意味

書籍「燃える波」
(村山由佳著・中央公論新社刊・332頁)から。
有名女優が、新しいスタイリストを選んだ時の話。
「(前略)これからの人と組んだほうが愉しいもの。
これからっていうのはもちろん、
未熟って意味じゃないわよ。未知数って意味」
この台詞が引っかかった。
まだ一流ではないスタイリスト(主人公・帆奈美)を
あえて選んだ理由をこう説明した。
一流じゃないってことは、未熟だから・・ではない。
一流じゃないってことは、可能性があるってことで、
それを「未知数」と呼んだ。
未知数の可能性を持った人と組んだ方が愉しい、
そういう表現をしたのだと思う。
このスタイリストと組んで仕事をすれば、
何か愉しいことが起こりそうな予感、
そんなことを匂わせてくれる。
物語は、その未知数を発揮してくれる主人公が
言葉通り、どんどん新しいスタイルを表現してくれる。
私の大好きな作家、村山由佳さんのラブストーリー、
一度、読んでみて欲しい。



2025年05月21日(水)
筋トレは、重力に逆らった運動

シルバー人材センターが主催する「健康体操」講座。
「腰痛・肩こり、膝痛など、お悩みを改善しませんか?」
というキャチコピーにつられて参加した。
コーチの合図に合わせて、ストレッチや筋トレをする。
えっ「ストレッチ」と「筋トレ」ってどこが違うの?
そんな疑問が私の頭の中で駆け巡った。
コーチは、簡単に説明してくれた。
「筋トレは、重力に逆らった運動」と言う説明に
なるほど・・と思いメモをした。
私がいつもやっているのは、ストレッチ。
筋力が落ちる高齢者は、ストレッチだけでなく、
時には、筋トレで筋肉を維持することも必要らしい。
ストレッチと筋トレの違いがわかって、
なぜかすっきりとし私である。
それだけ、負荷を与えるってことなんだよなぁ。



2025年05月19日(月)
あなたはあなたのために咲いたんだよね?

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「三月の娘二」)
「『ほかの花を引き立てるために、
お母さん、あなたは咲いていたの?そうでないよね? 
あなたはあなたのために咲いたんだよね?』
俯き加減に微笑む母の遺影にいま娘は訊く。」
落合惠子さんが、亡くなったお母さんの遺影の前で
そっと呟くワンシーン。
いつも、誰かのために、誰かを引き立たせるために、
生きてきたように感じた、母の生き方。
でも、そうじゃない。それを花に例えてこう言った。
「お母さんは、お母さんのために咲いたんだよね。
決して、誰かのために咲いたんじゃないよね」と。
見落としがちな、母の謙虚な生き方に
ついつい、聞き返してしまう彼女がいた。
そのうち、私の母にも、聞いてみよかな、
「お母さんは、お母さんために生きてきたんだよね」と。



2025年05月17日(土)
いかに、自分で自分を楽しませるかが、人生の基本よ

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「丑三つどきの」)
「いかに、自分で自分を楽しませるかが、人生の基本よ」
小森和子さん(小森のおばちゃま)のセリフらしい。
そうなんだよな、とメモをした。
どうやったら、充実した人生を送れるかを考えた時、
「自分で自分を楽しませる」ことだと知った。
今の私にとって、なかなか難しいことだと思うが、
人生の基本を教えてもらった。
他人にどう思われようが、関係ない。
そのためには、自分で楽しいと思わせる何かが必要だ。
私の問題は、そこなんだよなぁ。
私を楽しませてくれる何かを、見つけなくちゃ。



2025年05月15日(木)
料理は「すべきもの」ではなく「楽しむもの」

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「ネジれた自意識」)
「母は、料理が下手だった。
彼女にとって料理は『すべきもの』ではあっても、
その過程を『楽しむ』ものではなかったからだろう。」
その視点にはっとさせられた。
たまにしか料理をしない私は、
料理は「すべきもの」であり、
決して「楽しむ」ものではなかったから。
「下ごしらえまでの過程を楽しむ」ことって、
意外と忘れがちだけれど、一番大切なことかもしれないな。
お昼に「そば」を作るだけでも、楽しんでやりたい。
「すべきもの」ではなく「楽しむもの」と教わったから。



2025年05月13日(火)
「よかったね」の話は、なかなか出会えない時代

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「よかったね、の日」)
「悲しい話や理不尽な話は山ほどあり、
「よかったね」の話は、なかなか出会えない時代であり、
社会であるのだから。」
ニュースを見れば、悲しい話や理不尽の話ばかり。
なかなか「よかったね」の話に出会えない。
それだけ、社会が殺伐としている証拠なのかもしれない。
あっ、あった、あった。
「よかったね」は、ドジャース、大谷選手の話題。
大谷選手がホームランを打った。「よかったね」
大谷選手に子供が生まれた。「よかったね」
みんなが大谷選手の動向に一喜一憂しているのは、
「よかったね」が言えるからだと思う。
社会現象になった、大谷フィーバーの根本は、
みんなで「よかったね」を共有してるからなんだろうな。



2025年05月11日(日)
感謝とか幸せって、努力して思うことではないんだよ。

書籍「i」(アイ)」
(西加奈子著・ポプラ社刊・298頁)から。
文中に何度も何度もででくる
「この世界にアイは存在しません。」
いろいろな意味を持ち、気になる一言になるべきだけど、
その意味をうまく表現できないので、
違うフレーズを選んでみた。(汗)
「私は自分の環境に感謝すべきだし、
幸せなことを幸せに思うべきなんだよね」
と言う主人公「アイ」が言う。
それに対して、親友「ミナ」がこう言い返す。
「べき、ではないよ。感謝とか幸せって、
努力して思うことではないんだよ。
自然にそう思うことなんだから、
アイがそう思えないのなら、無理に思うことはない」と。
なるほど・・とメモをした。
私たちは、ついつい「感謝すべき」「思うべき」などと、
会話でも使ってしまうけれど、それは違うと・・。
「感謝」「幸せ」の気持ちは、心から思えば、
自然と出てくる単語なんだと知らされた。
メジャーリーガーの大谷選手がよく口にする「感謝」、
自然と出てくる言葉だったんだよな、きっと。



2025年05月10日(土)
努力をしてこなかった結果が、今の私

最近、自転車やバイクに乗れなくなっている。
これは、予想以上に体幹が弱くなったから。
言い換えれば、体幹を取り戻すストレッチを
時々しか、やってこなかった。
最近、音痴になった。
これは、他人と話す機会が極端に減ったため、
滑舌が悪くなったから。
言い換えれば、滑舌を良くするトレーニングを
時々しか、やってこなかった。
最近、10分も落ち着いていられなくなってしまった。
これも、他人と話す機会が減ったから。
言い換えれば、社会参加を時々しか、してこなかった。
最近、ちょっと太ってきた。
これは、甘いものを我慢できなかったから。
言い換えれば、運動不足なのに、ストレッチとか
軽運動を時々しか、してこなかった。
最近、できないことが増えた。
これは、やらなければならないことをサボったから。
言い換えれば、時々しか、努力してこなかったという訳だ。
そう、努力をしてこなかった結果が、今の私。
誰のせいでもない、自分の甘さにある。



2025年05月09日(金)
どんな時でも続ける、ルーティン・トレーニング

毎日、体幹トレーニング、滑舌トレーニングを
日課として出来るだけやっているが、飽きてきてしまう。
こんなことしていても、効果あるのかな?と思ってしまう。
出来るだけでなく、どんな時でも・・やる必要があると感じた。
メジャーリーグの大谷選手が凄いのは、
試合中のプレーでなく、目立たないところで続けている、
影のルーティン・トレーニングだ、とチームの同僚は言う。
どんな時でも、そのルーティン・トレーニングを
こなしている彼の姿を見て、誰もが驚き尊敬してしまうらしい。
だから、ホームランを打っても、驚かない。
あれだけのトレーニングをしているから当然だ、と思うようだ。
あのバッテイングは、偶然でもなんでもない。
トレーナーを信じて、黙々と続けている大谷選手、
トレーニングに裏付けされた自信が、あのバッティングである。
私も「出来るだけ」と言わず「どんな時」でも続けたい。
すぐに結果を求めずに・・。(汗)



2025年05月07日(水)
電気も電波もない宿に・・

知人に誕生日のお祝いをメッセージで送ったが、
なかなか「既読」の印がつかないので、気になった。
いつもなら、ずくに「既読」になるのに・・。
例えば、病院に入院してしまったとか、
何かあったのかな?と心配してしまった。(汗)
そんな彼女から一日遅れで、メッセージが届いた。
「なんと昨日から、電気も電波もない、
岐阜のランプの宿にお泊まりでしたWW」
なんと「スマホから離れた生活」を楽しんだようだ。
自宅にいたら、体験できないこと。
どうしても、1日に1回以上は、確認してしまう癖が
ついてしまっているから。
私も、疑似体験として、電波の届かない生活してみたい。
スマホを手の届かない場所にしまい、
(一時的に、電波の届かない環境を作り)、
次の日まで、手にしないことを自分との約束にして。
果たして、我慢できるだろうか?
スマホ三昧の私にとって、ちょっびり自信がないな。
スマホ生活からの脱却、やってみる価値がある気がする。
さすがに、電気のない生活は無理だけど・・。



2025年05月05日(月)
レモンちゃんの話、わかりやすい

最近、書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)からの引用が続いている。
私のアンテナに引っかかってくるフレーズが多いということ。
私たちの世代、落合惠子さんを「レモンちゃん」と呼んでいた。
その彼女が「高齢」というのを前向きに受け止めて、
女友達と楽しく過ごしている彼女の行動や気持ちが、
手に取るようにわかるから読みやすい。羨ましいくらいに。
母の長い介護と、母を見送った悲しみなど
辛いことも多かったようだけど、それにもめげず、
季節の花を育てながら、毎日を楽しんでいる。
なぜ、そんな彼女のメッセージに惹かれるかというと、
彼女の話が等身大の話であり、わかりやすいからだろう。
何も気取らず、今思ったことを文字にすること。
これって、私が何十年も、やってきたことと変わりがない。
もしかしたら、私の文章って、わかりにくかったかな。
楽しい本と出会った時の喜びを久しぶりに味わった。
これからも、この本からの引用が続く。お楽しみに。



2025年05月03日(土)
待つことが苦痛になっている自分がいる。

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「そういうこと」)
「待つことが苦痛になっている自分がいる。
我慢が利かなくなったのかなあ。
たぶん、これも年齢のせいだろうね」
内容は女性のトイレの話だったけれど(笑)
高齢者になって気づいたことが
歳を重ねるにつれ「待つこと」が苦手、になっている。
テレビで特集している「行列ができる○○店」などは
たぶん、待ってまで・・と敬遠してしまう私。
これって、年齢にせいだったのか、と納得。
最近、特にひどい、待てなくなってきた。



2025年05月01日(木)
加齢からの厳粛なる贈り物だもの。

書籍「積極的その日暮らし」
(落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。
朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。
(タイトルは「写真うつり」)
「写真なら差し替えはできるが、鏡うつりとなると・・・
そのまま丸ごと受け入れる。
いいじゃないか、加齢からの厳粛なる贈り物だもの。
受け取り拒否はしない。」
今の写真は、編集でどうにでもなるから、
若返りなんてお手のものだろう。
素敵な高齢者にでもなれるらしい。
しかし、鏡に写った顔は、編集できない。
現実を受け入れるしかないのが、鏡に写った姿である。
その現実を「加齢からの厳粛なる贈り物だもの。」と
言い切れる彼女の生き方が見えてきた。
昔は・・・と振りかえるよりいいな。
男だって、同じことが言えそうだ。