diary/column “mayuge の視点
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最終回ではありませんが…回顧録第二章

第二章 最後のシーズン

               ◇

奢れる者は久しからず

 大学生活の総決算であるアメリカンフットボール関東秋のリーグ戦。もともとアメフトをやるには体が小さかったマユゲは、「会社に入ったら毎日トレーニングなんてできないだろうし、プレーヤーとしての生命線である得意のタックルに自信をもてなくなるんだろうな」と感じていた。この"でかい奴を倒すときの痺れるような快感"(実際しょっちゅう脳震盪で記憶が飛んでいたんだが)を味わえるのはこれで最後なんだと、うすうす考え始めていた。それだけにこのシーズンは相当に気合が入っていた。同級四年生のみんなもそれぞれ胸に記するところがあったようで、皆自分なりにチームに対し身を捧げた。そこで皆に共通していたのは、最終戦で宿敵K大を倒し、1年生時以来のリーグ優勝を勝ち取る、という思いだった。

 初戦T大戦は大差で圧勝。マユゲ自身も、一試合三インターセプトと会心のスタートを切った。続くM大戦も豪雨の中、辛勝、着実に白星を重ねる。次は古豪N大戦である。しかし、最終目標は、あくまで「打倒K大」。ここで足元をすくわれるようなっことがあっては、今までやってきたことへのチームとしての自信が、崩れ始めてしまう。チームに油断が生まれることを何よりも恐れたマユゲは、ここで頭を坊主にしたのだった。

 そしてむかえたN大戦。天然芝のきれいなグラウンド。秋のぬけるような晴天のもとで、試合は行われた。心配していた油断も見られず、オフェンスは第1クォーターからタッチダウンを重ね、ディフェンスも負けじとQBサック、インターセプトといったビッグプレーを連発。前半終了時点で既に大差がついていた。本来なら、マユゲのポジションの控えプレーヤーである三年生に後半を託し、実戦経験を積ませるべきシチュエーションであった。しかし、このときのマユゲは、四年間で一番体調もよく、とにかく学生生活最後のプレーを少しでも多く楽しみたい、そう思っていた。リーグのインターセプトリーダーを突っ走るなど記録の面でもプレーがしたかった。マユゲはここで、後半も引き続き出場するという判断をしたのだった。

 そこで「事件」は起こった。

 後半開始早々のプレー。ボールを持った敵ランニングバックが中央を突破し走り抜けてくる。それに対し、マユゲの前に位置する味方ラインバッカーが左右からタックルに向かう。正面からフォロータックルをかぶせに向かうマユゲ。いつもなら、倒れかかった相手にも容赦なく「かぶせ」を喰らわすところなのだが、味方のタックルで既に倒れかかった相手ランニングバックに対し何故かそのとき「かぶせずに許してやるか」的な思いが頭をよぎり、駆け寄るスピードを緩めたのだ。敵ランニングバックと味方二人が折り重なってこちらに倒れかかってくる。結果的に三人分の体重がマユゲの右太ももに集中するようなかたちになった。こらえきれず三人とともに倒れる。

 その時、確かに痛みはあったが、「よくある『ももかん』(ももの前面を打撲すること)だ。別になんともない。」と思った。しかし、立ち上がろうとして、足が動かない。味方に肩を借りてサイドラインへ出る。すぐにアイシングを施し、しばらくの間、ゆっくりとストレッチをしながら、様子をみる。ひざは曲がる。立ち上がれる。走れる。大丈夫だ。そこでマユゲは致命的な判断ミスを犯したのだった。プレーしたい。ただその思いで再びフィールドに戻った……。

 今思えば、これがその後の悲劇のはじまりであった。その試合後も、テーピングを巻いて練習を続け、次の試合にも出場。その中でまた腿に異常を感じたマユゲは、その段階になって初めて整形外科を訪れたのだった。診断結果は「骨化性筋炎」。聞いたこともない症名で、医者に詳しく尋ねると、外部からの強い衝撃によって圧迫を受けた骨に傷のようなものができ、そこから、接している筋肉に骨のカルシウムが溶け出す、という病気との説明。レントゲン写真には確かに骨から煙のようなものが広がっている様子がはっきりと写っていた。医者は続けて言う。このままでは筋肉が伸縮しなくなり、結果、ひざ関節が曲がらなくなってしまい、日常生活にも支障をきたすおそれがある。とにかく安静が必要であり、走れるのには少なくとも半年は必要…………。

 ん、半年?嘘だろ?
 そう思った。
 何でなんだよ。何で俺なんだよ。何で今なんだよ……。
 そして、頭が真っ白になった。

 結果的には、負傷後プレーを続けてしまったことが炎症の悪化を招いたようだ。自分にとって公式戦唯一のパントリターンタッチダウンが、負傷直後のN大戦で生まれたことが皮肉であった。

 思えばあのとき、一番恐れていた「奢り」が、他でもない自分にあったんだ。一瞬の気の迷いを生む、「弱さ」が自分の中にあったんだ。

               ◇

外に立って、見る

 しばらくは絶望で自暴自棄になっていたが、当時の彼女やチームの仲間の支えもあり、その後チームに復帰した。プレーヤーとしてではなく、裏方として。その後、学園祭中の休みを利用した秋合宿をはさんで、I大戦、D大戦と続いたが、チームは厳しい試合を鬼気迫る気合で勝ち進み、全勝を守った。

 そしてむかえた宿命の対決、K大戦。当然むこうも全勝で駒を進めてきた。勝ったほうがリーグ優勝を手にする。秋も深まり、落ち葉が散見される三鷹のグラウンドでその試合は行われた。

 裏方として戦術や技術の指導にまわっていたマユゲも久々にユニフォームをまとってサイドラインに立った。皆のヘルメットには負傷で出場できないメンバーの背番号と同じステッカーが貼られていた。そこに、マユゲの「3」を見つけたとき、熱い思いがこみ上げたのを今でも覚えている。ともに戦っているんだ、という思いで皆がいてくれたのだ。大丈夫だ。絶対勝てる。ここ二年間、K大の壁に跳ね返されてきたけれど、客観的に見ても今年はいける。あとは気持ちだ。絶対に守るな。勝てると信じて攻めつづけろ。マユゲの気持ちはみんなにも伝わったと信じている。「やっぱり駄目なのか」とだけは一瞬たりとも思って欲しくない。一人でもそう思ったらそこから崩れていってしまうものだから。

 試合は味方がタッチダウンで先制、反撃のタッチダウンを許すも、またオフェンスが取り返す、というこちらのペースで進む。モメンタムはこちらにあった。

 しかし後半、敵ランニングバックの独走という、ひとつのプレーから歯車が徐々に狂いはじめる――。

(つづく)

2000年12月21日(木)

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