diary/column “mayuge の視点
INDEXpastnext

『性格』が『人格』になるとき

 先日久し振りに洗車をした。

 八月に帰国したとき以来だから三ヶ月ぶりか。この車は新入社員のとき購入してから可愛がってきたものだが、現在は訳あってうちの兄貴が通勤に使用している。

 洗い始めたものの、これがまた汚い。車内にはタバコの灰やパッケージを開けたときにでるカス、空缶などが散乱している。脱ぎっぱなしのGパンも無造作に転がっていたりもする。自分が大事にしていたものを粗末に扱われると、なんともやるせない気持ちになるものだ。大切に付き合っていた昔の彼女が今の旦那にひどい仕打ちを受けているような感じだ。

 ったく、しようがねえなぁ、もう。

 これは単にきれい好きかどうかという「性格」の問題なのだろうが、その兄貴の「性格」をみるにつけ、ヒトノフリミテなんとやらで、ちょっと身につまされる思いも同時に湧き起こる。自分では「俺はそういう性格だから」程度にしか考えていないことが、この年になると社会では「あいつはそういう奴だ」というように「人格」として捉えられてしまうことが多々あるからだ。

 今の俺は大丈夫か? もう一度自分を振り返ってみないとまずくないか?

 そんなことを考えさせられる出来事であった。

2001年11月25日(日)

読んだら押して↓
エンピツユニオン

My追加
▲TOPINDEXpastnext