diary/column “mayuge の視点
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「やればできる」は褒め言葉ではない

 先日の洗車話ついでにもうひとつ。

 マユゲ家では、昔から洗車はマユゲの仕事であった。特に自分が運転免許をとってからはよく週末などに家の車を洗ったものだ。しかし一旦洗車を始めるとちょっと水洗いしただけでは気が済まなくなる。ワックスまで塗ってピカピカに仕上げないと落ち着かないのだ。マユゲにはけっこうそういうところがあって、普段は大してやらない家事をたまに頼まれるとやたらと張り切った覚えがある。そしてその仕事に対して家族から「お前はやればできるねぇ」などとお褒めの言葉をもらうと、まんざら悪い気がしないでもなかった。

 この日も、自然と力が入る。自分が乗るわけではないのだが車はきれいにしておかないと落ち着かないのだ。車内に掃除機をかけて雑巾掛け。たっぷり泥と砂が持ち込まれたフロアマットもブラシを使って水洗い。外装はシャンプーの後、ポリマーコーティングを施す。タイヤにも専用のコーティング剤を塗布し、窓には水はじき加工。約三時間かけてコーティングの拭き取りまでを終えると、上腕三頭筋にぐったりとした疲れを覚えるほどだった。

 今回もピカピカに洗いあがった車を見て、自分を「俺はやればできる」と能天気にかいかぶっていた頃を思い出した。あれから十年近く。その間に社会人となったマユゲは、この言葉を違った解釈でとらえるようになっていた。

 「やればできる」という言葉は、子供に対して使うとポジティブな、いわゆる「誉め言葉」になるのだが、これを大人に使おうとするとちょっとニュアンスが変わってくる。「やればできる人」というのは、「いざというときになるとその実力を発揮する人」ということであって、すなわち「普段はあまりやらない人」ということだ。

 マユゲが会社員として生活していたとき(「ちゃんとした社会人」であったとき)、この「普段はあまりやらない」というのは全く通用しなかった。日々、常に「やって」いなければ認められなかったのだ。周りにいた「できる人」たちは、毎日のひとつひとつのことに対して実に良く「やって」いたのを目にし、自分もこのままではいけない、と、「日々やっていくこと」を心がけた。それを何年か続けると「あいつはまだまだだが、なかなかよくやっている」なんて見てくれる人が現れ、それが少しずつ自信になったものだ。

 今の自分はどうか。何か胸をはって「俺は、やっている」と言えることがあるか。内容がなんであれ仕事をしていたときはよかったのだが、それがなくなると自分の存在の拠り所がなくなって、精神衛生上、実によろしくない。こんなふうに車をピカピカにしても、何も満たされはしない。

 人生における短期的な次の目標は定まった。来年一年間、カナダでのワーキングホリデー生活に挑戦するということだ。しかしもっと大きな部分、長期的な展望は未だに定めきれないでいる。今は、それを模索するためにリスクを犯すまでしてつくった時間だ。焦ってはいけない。そうは思っても、ジリジリと忍び寄る「焦燥感」にも似た思いが、最近のマユゲを苦しめている。

2001年12月01日(土)

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