2002年02月14日(木) |
上目遣いの女の子に勝てる男の子はそうそういない。 |
というわけで、上目遣いで先手必勝! 相手がひるんだらチャンス! 「手を握る」→「目を瞑る」の連携攻撃でたたみかけろ!
はぁ。
んと、なんだっけ。
2/13の日本経済新聞の「春秋」という欄に (朝日新聞の天声人語みたいなもんだ) 中谷宇吉郎の話が載ってた、 雪の結晶を世界で初めて人工的に作った人で、 「雪は天からの手紙である」という言葉を残したそうだ。
でまぁ、それは全然かまわないのだけれど、 この執筆者、件のフレーズについて 「物理学者の詩的な感性」などと評していて、 かなり脱力。個人的に。
「雪は天からの手紙である」
これのどこが詩的なのか俺にはまったくわからん。 比喩を使ってれば詩的なのか? このフレーズのどこに「詩的」な「感性」があるんだ? 退屈な隠喩があるだけじゃねーか。
詩に対する誤解(敢えて誤解と言い切る)はいつになったらなくなるんだろう。
春秋では続けて、 「詩的な感性」の背後に科学者としての実証精神がある、と書いていて、 「一定条件の元なら卵は必ず立つ」ことを実証したことに触れてるけど、 俺としては、 この実証精神こそが「詩的」なんじゃないかなと。ふと。 雪の話に戻れば、 「雪は〜」云々のフレーズに詩的感性があるのではなく、 雪の結晶を人為的に作ろうしたその姿勢/行為こそが 詩的な感性なのではないでしょうか。
詩的な物理学者と言えば、やっぱり寺田寅彦は外せなくて、 この人は随筆家としても有名なんだけど、 尺八の音響学とか、蛍の光学現象についてとか、割れ目に関する物理学的考察とか、 そういう面白い研究をいっぱいしてるのね。 絶対ね、そっちのほうが詩的だと思うんだけど、
どう?
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