カンラン
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2002年03月20日(水) 帰リ道。

小さい頃から数字嫌い。

「1から1000までノートに書いてきなさい。」という
小学校のつらすぎる宿題,おぼえてます。
友達の誕生日,今でも覚えられません。
ケタが大きい数字,読むのに苦労します。

そんな私がまさか,日がな一日計算機をたたくようになるとは。
なんとも不思議です。


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さて,今日もばちばち音を響かせていると,
電話が鳴りました。

通学路の話です。

話を聞いているうちに
自分の小学校の頃の通学路が鮮明に浮かんできました。

「心臓やぶりの坂」。
これってきっといろんなところに存在するものだと思いますが,
うちのもすごかった。

急勾配はもちろんのこと,
片側はかぶれの木やシダが生い茂る絶壁,
反対側は民家の裏口がはるか下に見えるという場所で。
そこが通学路に指定されてたわけです。

登校時は自分のおへそを見るような姿勢で
はぁはぁ言いながら坂を上り,
帰りは否応なしに早歩き風にとっとっとっとっとっ・・・と坂を下る。

子供ながらに
自分の中の危険区域に指定してたのですが・・・



ある日の帰り道,
おそれていたことは突然起こってしまいました。

用心深い私は
決してその坂で走ったりしたことはなかったのに,
後ろから男の子に追いかけられて
友達と一緒に逃げる途中,

こけました。

顔でずりずりずりずり
擦り下りました。
ランドセルの中の教科書やノートが
ごんっ,と首のうしろに当たったのもおぼえてる。

そして
無数の細い線が左右に走る
グレイの地面。

その後知り合いのおばちゃんの自転車に乗せられて
家まで届けられました。
玄関先でお母さんの顔を見て
やっとうわんうわん泣くことができました。

私の中ではそこまでが大事件。

けれどお母さんがたまに思い出して話します。
「よくあの顔で一日も休ませずに学校行かせたわ。」って。
そうとうひどかったらしい。
たしかに,
トイレ(男女共用でした。)で他のクラスの男の子に
「うわっ。オバケが来たぞ。」って言われた記憶はあります。

でも肝心なケガした自分の顔は覚えてない。
おじいちゃんのつくってくれた
何冊にも及ぶアルバム集にも残ってない。
無意識に,記憶も事実も残らないようにしたのかも知れません。

それでお母さんの思い出話は,
「あんたの鼻がそう高くないのはあの時こけたのが原因なんじゃわ。」と
締めくくられます。
うん。
そう言われてみれば弟は鼻が高い。



今でも仕事の関係で
たまに私の通った小学校の通学路図を目にします。
うちから学校まで
つつつつつつぅ・・・とたどっていくと,
×印のつけられたあの坂が描いてあります。

あれから
他にも転んだ子がいたんだなぁ。



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