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2004年11月18日(木) |
『教わる技術』その1 |
ピアノを教える仕事をしているわれわれは、“教える技術”についての情報には、興味を持って接することが多いと思います。 しかし、実際には、教える側の意識だけでなく、教わる側の意識の多い少ないによって、その効果は、大きくも小さくもなります。 また、指導者自身が勉強する場合でも、同じ情報に接しているのに、本質的なことをつかめる人、つかめない人の差は大きく、また、必ずしも、その差は学歴や経験、その人の演奏力とは関係ありません。 どれもこれも、個人差…と一言で片付けてしまいがちですが、その個人差とは、一体具体的にどんなことなのか…。そんなことを考えているときに、以下の本に出会いました。
『教わる技術』(水上浩一著、ソフトパブリッシング刊)
著者の水上浩一さんは、元ギタリスト。 そのため、この本の中には、ギターの技術を名手から盗む…と言った話もあり、いわゆるビジネス書でありながら、音楽をやる私たちに理解しやすいように思いました。 逆に言えば、音楽を身につける過程で必要な数々の要素は、決して、音楽習得のみに通用する特殊なものではなく、この社会を生きていくのに必要なものに転化していくことが可能なものである…という証明のようにも思いました。
この本の一番最初に書いてあることは、 「知らないということを自覚すること」 なのですが、これは、非常に大切なことだと納得がいきます。 見ていても、これができている人は、必ず進歩します。
例えば、ピアノを習い始めたばかりの方は、大人でもお子さんでも、ご自分がピアノを弾けないことを知っています。 ですから、レッスンも真剣に受けるし、課題にもマジメに取組む場合が殆どでしょう。 ところが、レッスンがある程度進み、ちょっと曲らしい曲が弾けるようになってくる頃から、個人差が出てきます。 入門教材を終えたて、少し曲らしい曲が弾けるようになって、クラシックの名曲が弾けるようになり始めた頃、年齢的に長くピアノを弾いているという自負が生まれ始めて…など、それぞれの段階でピアノが弾ける…と思っている人(そのこと自体は悪いことではないのですが)が、思い込んでしまったために、その先のためのアドヴァイスを受付けてくれない…そんな悩みは、少し長く指導している方なら、経験しているのではないでしょうか。
あるいは、指導者の立場でも、同じことが言えます。 駆け出しの頃は、教えることの何もかもが難しく思えるものですし、そのため、すべての情報にアンテナを向けているものですが、経験を積むことによって、自分のできること、教えられることにばかり目がいってしまうケースは、ありがちです。 指導者の立場で、そうであっても、誰も文句を言うことはありません。 そのことで不利益をこうむるのは、指導されている生徒さんなのですが、その不利益も、大抵は、指導を離れて時間が経ってから、明らかになるものです。
この本では、良い例、悪い例が具体的に、でも、一般化されて(この加減が絶妙なのは、著者のバランス感覚のよさかも知れません)挙げられていて、読む人が自分のケースに当てはめてイメージしやすくなっているように思います。 特に第2章の「アプローチ編」では、何かを学ぶ際、入り口でつまづきがちな一つ一つを丁寧に説明していて、ピアノ学習に応用できることが沢山あるように思いました。 たとえば、「飲み会の誘いは断らない」なんていうのは、ピアノとは関係ありませんが、しかし、緊張しすぎないでコミュニケーションを計るという風に読み替えれば、やっぱり、教わる技術の一つといえると思います。
さらに、第3章で、どんどん良い情報を学ぶことができる人とそうではない人の違いを、“成功スパイラル”という言葉で説明しています。 そして、第4章では、「勝手に弟子入り」と名づけて、誰からでも学べる“奥義(?)”が紹介されていて、何かを教わる…というのは、何も、上下関係にこだわる必要はないのだ…ということがわかります。 これは、社会的地位がある方、ある分野で成功された方のほうが、柔軟に年若い人とも交流し、そこから学んでいらっしゃるのを目の当たりにするにつけ、実感することでもあります。 また、このレベルになるには、まずは、アプローチ編をある程度モノにする必要がある…というのを理解しやすく、ピアノを学習する上での心構えに通じる部分が、数多くあります。
(つづく)
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