![]() |
欠点。 - 2004年10月21日(木) 明け方 ふと遠い昔の事を思い出していた。 私は 中学校時代 そして高校時代 また大学時代にも一度 一応友達だと思ってた女に裏切られたことがあった。 内容はどれも 今から思えば大したことはない。 中学時代も高校時代も 別々の先生であったがそのことについて 同じような意見を私にいった。 「君には華があるから妬まれるんだ。」と。 だけど私は そうは思わない。 たいていパターンは同じだ。 誰か特定の相手と深い関わりあいが苦手な私は ひとつのグループに属していながら とてもファジーな位置に自分を置いていた。 集団にならざるを得ないときは そこに属するが だけど 特定の誰かには縛られたく無いから いつも一緒にいるようなことはしない。 そんなスタンスに きっと不安定さと希薄さを 彼女たちは感じていたのだろう。 ふとしたきっかけで 友達だと思ってた女達は グループとして私に同調しなくなる。 当然の結果だった。 私はいつ何処にいっても そんなだった。 どんな組織に組み込まれても どんなグループに属しても 協調性がないといえば それまでだけど 人が皆 保身の為に戯れる意味のないつながりに 組み込まれるのは苦手だった。 だけど 思うのは 私は姉のいる環境に育ったとはいえ 歳が離れている所為で きっと年代の近い人との関わり方を訓練されずに育ったのかもしれない。 そしてまた 私の嗜好が偏っていて とても考え方の近い人しか 周りに置かないように し過ぎたのかもしれない。 どちらにしても それらは欠点だ。 未だに 女友達と 深いかかわりを望まないのは その時のトラウマかもしれない。 きっと 女はいつか裏切る と 理性とは別の部分で 焼きつけられているのかもしれない。 私にも多々の欠点はあるのだ、もちろん。 そんな関係しか築けなかったこと そんな女しか友達に選べなかったこと。 他人は 私の良い部分はすぐにみつけて誉めてくれる。 だけど 私の負の部分はみつけようとしないのか 私が見せないように壁を作っているのか 気付かせてはくれない。 多分私はこうやって 何かを書き続けるのは 自分の負の部分を 解放してやりたかったのかもしれない。 アンバランスな私の評価というか そういうものに 整合性を与えたかったのかもしれない。 ある人が私に「悪者が好きなんだね」と言った。 考えてみるとそうだった。 目的や欲求に忠実で正直で 手段を選ばず 誰に気兼ねすること無く 邁進する。 きっと私の根本は こうなのだ。 身勝手といえば そうかもしれない。 作り笑いや 意味のない謙遜 時間潰しの戯れや みせかけの心遣い。 こんなものは もう沢山だと思う。 「傲慢」は七つの大罪のひとつだ。 それは 心にもない謙遜では打ち消すことはできない。 ...
|
![]() |
![]() |