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2003年06月30日(月) 母親の眼差し

 喫茶店の片隅。僕は小説を持ち込み暑い日差しから逃げるように駆け込んだ。
少しでも外にいれば背中がジットリと濡れてくる。

 席に座ってすぐにウェイトレスが水を運んできた。
「ご注文は?」
「アイスコーヒーを」
喫茶店での常套句だ。彼女は一日何度アイスコーヒーを注文され、
何度運ぶのだろう?その度に、愛想笑いなどしたりして・・・。

煙草に火を点けるとようやく落ち着いて、汗も引いてきた。
するとすぐに横に座っている夫婦の会話が耳に入ってきた。

「あの子もとうとう家を出ちゃったわ、これで3人とも私たちの手を放れたのね」
「アッという間だったな、もう20歳だ。あいつも一人でやっていける年頃だろう」
「何言ってるのよ!まだまだ子供だわ!私にとっては3人ともいつまでも子供 よ!いくら手が放せたからと言って・・・」

 その子は結婚でもしたのか、家を出たのか、はっきりしていることは夫婦だけでこれから生活をしていくようだ。二人ともどこか淋しげな表情を浮かべ、アイスコーヒーを飲んでいる。

「あの子、ちゃんとやっていけるかしら、心配だわ」
「そうだな、たまには帰ってきて欲しいな」
「あら、あなた家にいてもあの子と話なんかしないじゃない!」
「いや・・・居るってことが大切なんだよ。何でこうも子供は家から出て行きたがるかな」
「親の気持ちなんて分からないのよ!子供には。でも子供には精一杯のことしてあげたいの。そうでしょ?」
「だから一人暮らしも許したんだ。あの子には”大人”になってほしいしな」

 どうやらその子は一人暮らしを始めたらしい。
Gパンにポロシャツという出で立ちから引っ越しの手伝いをしたのだろう。どうもその帰り道らしい。意味もなくさっきから何度も溜息をついては煙草を吸っている。
どうとも言えない感情が二人の間を取り巻いていた。
手が放れたのは決して嬉しい出来事ではないようだ。むしろ負の感情だろう。
そういう顔をしている。安堵の表情とはほど遠いと言ったところだ。

僕は運ばれてきたアイスコーヒーにミルクを落として飲んでみた。
いつもより苦く感じた。小説に逃げ込むこともできなくなってしまった。
ぼんやりと煙草をふかして、故郷を思い出していた。

 例の夫婦は仲良く3本ずつ煙草を吸った後、半分ほどコーヒーを残して最後に、
「淋しくなるわね」と溜息混じりで小さく呟いた。

僕も後を追うようにして店を出た。
夕食の支度でもしてるのだろうか?
携帯のアドレス帳にある実家の電話番号が画面に表示されている。
「もしもし、米田です」 相変わらずの母親の声。
「久しぶり、元気にしてる?」


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