度々旅
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2002年06月23日(日) |
出来た溝に水を流され渡れなくなった |
気分転換にネット上を徘徊していたら、高校の時の友人のページに遭遇。日記を読んでいて、盗み見しているような気分。気恥ずかしいかんじ。あまり仲が良かったわけではないので、彼女はこういうことを考えていたのかぁなどと新たな発見。まぁ、これから会うことなどないかもしれないけれど。
教室で机を並べていた頃は、大人数の付き合いというかんじで、まったく個々が見えていなかったような気もする。こういうグループにいる子というかんじで見ていたかも。申し訳ないとも思う。でも、思えば私は、いろんなグループに片足をつっこんでいるという、中途半端なかんじだった。昨日の続きで、相変わらず、輪っかの中が苦手な自分を思い出した。苦手なら苦手で、一人で歩くってことをすれば良かったのに、と今思ってもしょうがないことを思っている。
思うのだが、女子校ってのは、グループができやすい。そして、そのグループが卒業後も続く。どうして、あんなにきっかり境界線を作りたいのだろうとも思った。そして、どうしてその境界線はずっと続いているのだろう。境界線で切られてしまうのが嫌いな私は、境界線に立ってうろうろしていた気がする。だから、よくグループ内部の面倒な話を外部者としても聞かされた。しかし彼女達は、また輪の中に帰っていく。では、あたしが聞かされた話はなんだったの!?という感覚は、今だに持ち合わせている。そういうものが、ますます私の輪の中が嫌いというのを強めているのでしょう。 高校の最後の方で、私は自分の輪のようなところから飛び出した。というより、個々でつながっていると思っていた親友との間に溝ができ、彼女と私を含んでいる輪から追い出されてしまったというかんじ。その時、だいぶ私を本当に大切にしてくれている友人と、私ではなく、友情のようなものを大切にする友人がはっきりしたのを覚えている。私は、親友とのことを他の誰にも言わなかったが、親友はその輪っかの人みんなに私の酷さを泣きながら訴えたらしい。それを聞いた輪の中の人々は、私を責め立て、理由を聞いてきた。が、これは私と親友の問題であって、他者が入ってくるものではないという気持ちから、いっさい私は彼女達になにも言わなかった。
卒業してからわかったことなのだが、いろいろな所で、輪の外の友人達が私のことを助けていてくれたらしい。輪とは関係ない個々でつながっている友人達は、私が何かをするには理由があると信じていてくれた。その親友や、輪の中の人たちに、何も言わず耐えている私を責めるのはおかしいと言ってくれていた。私が親友に渡した手紙は、輪の中の人たちに公開され、輪の外へも公開されそうになったのらしい。その手紙が紛失したという話をしてくれた友人がいたが、実はその友人が公開刑にあっているその手紙を処分してくれていたことがわかった。
私は輪の中に入っている感覚はあまりなく、それぞれ個々でつながっていると思っていた。しかし、いざ問題が起こってみると、輪というのは友情のようなものを振りかざして個々のつながりへと入りこんでくる。私と親友の間に出来た溝を埋めるためなのかもしれないが、それは私にとってはできた溝に水を流し、渡れないようにされているのと同じだった。個々でつながっているつもりが、結局は輪につながってしまうという恐ろしさを感じた。
輪が大きければそれは良い。私は、全部が点と点でつながっている輪を望んでいたが、個々の輪が出来てしまうと、それがぎゅっと圧縮されてしまい、他を受け入れない一つの大きな点ができてしまう。それぞれは、個々の小さな小さな点で、自由に他とつながることが出来ることが理想なのに。
ちと、長くなってしまった。久し振りに昔を思い出したよ。あはは
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