くじら日誌
温かい、紅茶を傍らに。
穏やかで何もない日々だけれど。
せいいっぱい、生きよう。

2002年07月22日(月) 小さい器

月の光と水のせせらぎと草いきれの匂い。
それだけで十分幸せなのに。


今日は1日物凄く不機嫌でした。
何かにつけてイライラしてどうしようもなかったです。
僅かに残る理性が、何とか笑顔を作っていました。

出勤途中に子供に砂をかけられたからでしょうか。
お昼御飯に密かに楽しみにしていたオーベルジュのランチボックスが、
もたもたしているうちに最後の一個を別の客に取られてしまったからでしょうか。

否。

最近嫉妬心が強くて困ります。
恋愛関係ではないですよ。
才能とか能力とか技術とか。
自分の持ち得ぬ何かを持つ人間が憎い、という感じです。
負けず嫌いなんてそんな生易しいものではなく。
羨望を通り越して自己中心的に憎悪の念を増幅させております。

そういうフラストレーションを良い形で昇華できれば良いのでしょうが。

「わたしって器の小さい人間だなあ」とわたしの中の別のわたしが笑います。
他人の良い部分を認められないなんて、最低の人間ですね。
「許容し許容される」という相互関係があってこそ、人間成長できるってもんです。


お仕事中に迷子の保護を致しました。
3歳という若年にも関わらず、泣かずに自分の名前と年齢が言えるのは
賞賛に値します。
しかし。
こういった境遇のときに泣かないことが「偉い」のかどうかは
わたしには判断しかねます。
かく言うわたしも幼少の頃に何度か迷子になっておりますが、
やはり泣かない子供でありました。
「泣いちゃいけない」くらいの気負いもありましたし。

「迷子になっても泣かないから、
迷子だと周囲に気付いてもらえずに発見が遅れる」
これは迷子にならない年頃になってから母に言われた言葉です。
迷子になった途端泣く子供は、まだ母親が近くにいる場合もあって、
母親自身が泣き声で見つけられる事もあるし、
泣いていれば「迷子」だと周囲にもすぐに気付いてもらえるわけです。

何でもかんでも泣けば良いわけではないけれど、
泣かない事を「偉い」と言われて、我慢しすぎるいわゆる「良い子」も
どうかと思うのですよー。
難しいです。



明日から無意味な三連休が始まります。
無意味な、というか苦行への第一歩というか。



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